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【キーノートスピーチ】

では、まず4名のパネラーの方のキーノートスピーチの後、議論に入ります。
カウベ: シンポジウムのタイトルにある、「インターネット」と「世論」についてお話しします。インターネットについて2点指摘すると、まず、インターネットは、それ以前の全てのメディアをもう一度内包しています。新聞、映画、書籍、テレビ、音楽、ショッピングといった既存のものを、電子ベースでより速くアクセスできる状態で、再提示しているのです。一方、インターネットは新しいメディアを登場させ、それまでに無かったものを含んでいます。例えば、ソーシャルメディアの登場によって、ちょっとした会話やコメントなど、今まで文字化されたコミュニケーションとして存在しなかったものが一気に世界中に拡散するようになりましたが、それがどのような質を持つのか、私たちにもまだはっきりとは分かっていません。
次に、「世論」という概念は18世紀ヨーロッパで誕生し、主に政治的なテーマに関する市民一般の意見だと理解されてきました。しかし、「世論はある法案に反対/賛成」と言う時、いったいそれは誰の意見なのでしょうか。全員のことなのか、ある編集部にいる人たちのことなのか。とりわけ、ソーシャルネットワークの世界では、その声が私的なコメントなのか、どの時点から議論のための公的な意見になるのか、その質を問う必要が出てきます。
そして、インターネットは世論をどう変えたのかについて2点指摘します。インターネットが情報伝達のスピードを加速させた結果、世論の不安定化という影響をもたらしました。もう1点は、情報の受容の仕方の変化です。新しい情報で人々にサプライズを提供することがメディアの役割の一つですが、テレビや新聞を見て予期しない情報が手に入ったということと、Googleで検索して自分が探していた情報が手に入ったということは、メディアの重要な差異だと思います。

岩本: 私は、以前、3年ほど「世論調査部」という部署にいました。世論調査で重要なのは、「何人に聞いて何人が答えたか?」という数字の信用性です。例えば、1000人に聞いて30人しか答えなかったとしたら、ある一定の層の意見は全く入っていないことになります。また、調査の方法も信用性と大いに関係します。今のところ、最も偏りがない確実な方法は、「神の見えざる手」に任せる、つまり「ランダムサンプリング(無作為抽出)」です。これは数学的に証明されています。
佐藤: 続いて、政治学・メディア学がご専門のビーバーさんにお願いします。

一方で、政治もソーシャルメディアに注目し、ネットを通じて発信することで、自分たちのメッセージを市民に直接届けようとするようになりました。そうすることで、元々批判的な姿勢を持っているオールドメディアを回避しようとしています。政治も市民側もソーシャルメディアを積極的に活用していますが、そこで、いったい誰に向かって語りかけているのかがはっきりしないという点を指摘します。それはソーシャルメディアがネットワーク化されていることに起因します。個々のユーザーは、自分が想定する友達の輪の中で語っているのか、実はものすごく広い射程にまで届いているのかを理解していません。それは、民主主義にとって良いことばかりではないのかもしれません。
佐藤: 続いて、ジャーナリスト、メディア・アクティビストという肩書きで活動されている津田大介さんです。SEALDsの若者たちの後見人のような立場という意味で、日本における新しい公共性の現場に立ち会っている当事者と言えるかもしれません。

日本におけるメディアとネット世論の現在について、簡潔に3点にまとめます。第一に、ソーシャルメディアにはマスメディア以上に喜怒哀楽を増幅させる機能があると言えます。ソーシャルメディアには、情報入手と、友人とのコミュニケーションという両方の側面があるからです。第二に、「動員力」の向上とマネタイズです。左右、保守・リベラルでそれぞれが両極端な主張を行い、同調する者が集まってデモや資金集めといった具体的な行動を始めるようになりました。第三に、ネット上の「炎上」、いわゆる義憤が匿名で暴走することで、社会的制裁を超えた個人の吊し上げが過剰になりつつあります。例えばSTAP細胞騒動や五輪エンブレム撤回問題など、政治的な信条とは別の軸で、ネット上での世論形成が生まれ、現実社会に影響を与えるようになってきています。
佐藤: 皆さんのお話を聞いた上で、今日のテーマの「ネット時代と世論形成」は、非常に優れたタイトルだと思いました。ドイツ語の「Öffentlichkeit」は、「公共性」「公共圏」と訳されることが多い抽象的な単語ですが、今回の「世論形成」という訳語は非常に的確だと思いました。「公共性」とは、世論を生み出す社会関係のことですし、「公共圏」とは、世論を生み出す社会空間を指すからです。皆さんの4つのキーノートスピーチは、その問題に正面から向き合っていたと思います。
【ソーシャルネットワークの動員力とその両極面】
佐藤: さて、「世論(よろん)形成」と言ってきましたが、私自身は「よろん」と「せろん」を使い分けています。「よろん」は「パブリックオピニオン」の意味、「せろん」は「ポピュラーセンチメンツ」を指すと考えています。津田さんは、『動員の革命』という著書の中で、Twitterのようなネットメディアが世論(よろん)を可視化したと指摘されています。ここでの世論(よろん)とは、私の見方では、「ポピュラーセンチメンツ」を指す「せろん」のことだと捉えています。こうした「ポピュラーセンチメンツ」の動員が政治に与える影響について、ご意見をお願いします。

カウベ: 「アラブの春」や「オキュパイ・ウォール・ストリート」といった大きな動きは、やはりTwitterやFacebookと関係があり、そうしたソーシャルネットワークを使って、運動を組織化して政治に圧力をかけているわけです。ただし、こうしたツールが、例えば外国人排斥運動など、良くない動員のためにも使われる可能性を考えなければなりません。
ビーバー: そうしたソーシャルネットワークの両極面について補足します。津田さんの著書の『動員の革命』というタイトルは、「Twitter革命」「Facebook革命」も指すと思いますが、そこには監視という側面もあります。自分自身の意見を発信するという行為は、もし民主主義的な制度でなければ、すぐに見つかり、監視されることにもつながります。既存の体制に反対する集会に行って、その場でスマホを使ったことが分かってしまうという形でも監視される可能性があります。実際、「アラブの春」ではそういう事例も起きました。公共のコミュニケーションのデジタル化は、民主主義的な意見表明というプラス面をもたらすと同時に、監視のリスクにもなりえることを忘れてはいけません。
【ネット時代の世論をどう形成していくか】
佐藤: 今日は、「ネット時代と世論形成」ということで、津田さんの方から、この夏の国会前でのデモの話は出てくると予想していました。インターネットは、スピードとともに空間性を無くすので、一体感を得やすいメディアですが、一方で、ネット上の盛り上がりが世論調査や内閣支持率にどこまで反映したのか、という点に対しては疑問を持っています。

津田: 従来の世論調査が大事だという意見もありますが、テレビの影響を受けやすかったり、高齢者の回答が多かったり、従来の世論調査だけでは拾えない世論があると思います。一方で、ネット上の世論も、ネットを使っているという時点でバイアスがかかるので、これからの世論をどう汲み取っていくのかは非常に難しい。
おそらく、従来型の世論調査がベースにありつつ、ネット上での盛り上がりとの中間くらいのところに正解があるんだろうと僕は思っています。メディアの傾向として、ソーシャルメディアがきっかけで火がつくケースが圧倒的に増えています。今までならば、世の中に対して問題を問いかけるというアジェンダセッティングの機能はジャーナリズムやマスメディアが担っていましたが、それがTwitterやFacebookに代わりつつあります。テレビや新聞といった従来のマスメディアがやらないといけないのは、そうした「ポピュラーセンチメンツ」の中から拾い上げたものを、「パブリックオピニオン」に変換して伝える機能です。でも、今、その機能が相当弱っているのではないか。オリンピックのエンブレム撤回問題がその良い例です。また、テレビや新聞でも、ネット上の検証を鵜呑みにして伝えることがけっこう多くて、どこかで、マスメディアの側が理性的にならないといけないところを、踏みとどまれなくなってきていることに危惧を覚えています。
岩本: 今、ほとんどのマスコミは、月に一回、内閣支持率の調査を行っています。それがどんな効果をもたらすかというと、例えば、数年前の選挙ではほとんど争点になっていなかった問題が、非常に大きな位置を占めてくることが起こりえます。それに対する意見をどう示すか、デモだけでは難しいし、目立った人の動きだけで判断できないので、世論調査で確かめるということは、逆に言うと、政権を監視する、我々国民の武器なんです。そのためにはきちんとした科学性を備え、バイアスを排除する必要があります。ただ、ずいぶん限界が見えてきたことも事実です。そこで今、ネットと電話の融合など、様々なやり方が試されています。

一つの事例を紹介します。民主党政権で事業仕分けをやった時に、会議の様子をニコニコ動画で生中継しました。無駄な行政の予算を削るのか、継続するのか、廃止するのか、といった行政の刷新会議に対して、見ている人のコメントが一緒に画面に流れるんです。僕はこの時に参加していて、65000個くらい寄せられるコメントを全てチェックして、良いコメントや鋭い意見を拾い上げ、それを議論に組み込んで仕分けにも影響を与えるという取り組みをやりました。コメントの99%は「ポピュラーセンチメンツ」ですが、その中の1%の「パブリックオピニオン」をきちんとフィルターを通して議論に組み込めば、世論に力を与えすぎず、有用なものになるという一つの事例だったと思います。
ビーバー: 構造転換の非常に良い例だと思います。デジタル化やネットワーク化が進んで、それが政治のプロセスにどういう影響を与えるのか、今、適切なインターフェイスを捜している真っ最中だと思います。ネガティブな結果もあるでしょう。それをフィルタリングするには時間がかかります。一方、インターネットはスピードが速く、技術もどんどん進歩するので、どうやって良いツールを決定するのかというジレンマがあると思います。
カウベ: 今紹介された試みは、選挙と選挙の間の民主主義だと言えるでしょう。短いコメントを述べるのは簡単ですが、本当は、その時間をより深く考えるために使った方が、政治を良い方向に動かせるのではないでしょうか。様々な政策について知りたいと思う人々に、考えるためのきっかけを与えることが必要です。考えた末での意見であるべきです。

佐藤: 討論型世論調査とネットの接続は、非常に魅力的な課題だと思います。実は私は、討論型世論調査の検証委員会の委員をやった経験があるのですが、一番大きな問題だと思ったのは、泊りがけで議論できる人は限られていることです。参加者の過半数近くは定年退職した男性で、20代男性は一桁でした。一方、同時に行われたニコニコ動画での20万人調査では、若い人が大半で、調査結果の違いは顕著でした。とりわけ、原発問題という長期的な問題を考える時に、ニコニコ動画は匿名だから信頼性がないと言って排除すると、本当に考えないといけない人たちの意見の排除につながる危険性も指摘しておきたいと思います。
【ネット時代の世論形成における知識人の役割】

カウベ: 戦後のドイツでは、知識人たちは、とりわけラジオと新聞で意見表明することで、一定の役割を果たしていました。テレビは当時、インテリなメディアと見なされていなかったので、テレビの普及につれて知識人の存在感も薄れてしまいました。私が思うに、知識人とは、優れた意見があるからこそ知識人として評価されるべきです。また、メディアにとって重要なのは、政治ですでに言われていることをなぞるだけではダメだということです。重要なのは、自分の意見をきちんと形成して表明することであり、それに対してどう反応するかは聞く人、受け止める人の自由です。
ビーバー: そうした知識人にもう1つの役割を求めたいと思います。公共的な知識人の歴史を振り返ると、議論や意見の表明以上に、政治の矛盾を追及したり、誤りを指摘して正す役割もあります。今日のテーマに関して言うと、インターネットという新しいメディアの登場によって、別の形の知識人が求められているのではないでしょうか。挑発的な意見ですが、例えば、ウィキリークスの創始者のジュリアン・アサンジや、アメリカ国家安全保障局 (NSA) による個人情報収集の手口を暴露したエドワード・スノーデンは、「インターネット知識人」と呼べるでしょうか。彼らは、従来の文章やスピーチではなく、データの発表という形で、政府の行動を批判しています。陰謀に近い部分もあるので難しいですが、彼らは、誤りや矛盾を追求するという従来の知識人の役割を、インターネットという新しい手段を用いて行っていると言えます。

津田: ウィキリークスが提示したものは面白いと思います。ウィキリークスは最初は、リークされた秘密の情報をネット上に公開するだけで、新しい情報公開の形でしたが、ジャーナリズムではありませんでした。ウィキリークスが路線転換したのは2008、9年頃です。入手したデータをジャーナリストや税理士、弁護士など専門家に渡して検証してもらった上で、新聞社と提携して情報公開を行なう、つまり知識人と市民が連携した情報公開のモデルを目指したんです。アサンジ自身、「実はソーシャルメディアは、直接的なジャーナリズムが出現するメディアではない」と言っています。むしろソーシャルメディアは、新聞やテレビ、知識人が行った問題提起に対して、別の多様な見方を提示するものです。
それを踏まえて、皆さんに質問があります。ネット時代の世論を考える時に、知識人の意見表明、ネット上での匿名の意見表明、世論調査という3つに対して、どうバランスを取ればよいでしょうか。どれも大事ですが、重みづけが間違っているというのが今の僕の問題意識です。例えば、日本の場合、オリンピックのエンブレム撤回問題が典型ですが、ネット上の炎上を企業、行政、政府が過剰に気にしています。ネットの匿名の意見は、実は単なる極端なラウドマイノリティーの意見かもしれないんだけど、サイレントマジョリティーの意見だと勘違いしているのではないか。世論調査でサイレントマジョリティーの動向を掴み、一方でラウドマイノリティーの意見はネットの匿名の発信ということで、気にしないわけではないけれども、気にしすぎない。また、実名で情報発信している知識人の意見表明もあります。この3者はどういうバランスが適正なのかを、佐藤さんも含めてお聞きしたいです。

佐藤: 私自身は、知識人の役割は、やはりインターネット時代にも必要だと思います。実名で自分の意見を表明する、その足跡を残していくことは、後で検証が可能です。世論調査も、賛成が何%、反対が何%という数字だけが問題ではなくて、その問題について考えるという教育的な効果の方がはるかに大きいと考えています。その時、知識人の役割は、考えるための足跡を残していくことであり、世論調査はそうした「考える」という議題設定をすることで、ネット上にあるような「ポピュラーセンチメンツ」を言語化していく実践が行われるのが最も理想的だと思います。
今日は、4人のパネラーの方から様々な論点を出していただきました。ネット時代の世論形成が決して簡単ではないことが明らかになったとともに、それが社会を動かしていく可能性についても示していただき、非常に有意義な議論ができたと思います。
編集: 高嶋慈
写真: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川