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Creators@Kamogawaは、日本とドイツのクリエイターが、Barのようなくつろいだ雰囲気でアートを語り合うイベントシリーズ。今回のテーマは、『アートに国籍は必要か?』。
コスモポリタニズム(世界市民主義)は、現実の政治の世界では利害相反する状況があり、実現しにくいものです。一方、文化芸術の分野では、外国滞在経験や異文化交流は創造的な刺激を与え、新しいことを生み出す原動力ともなり得ます。では、文化芸術面で「コスモポリタンたること」は可能でしょうか? 今日身近になった国際文化交流は、文化的アイデンティティをかえって薄めてしまわないでしょうか? 『多文化性』や『文化的アイデンティティ』とは、そもそも何を指し、時代に合ったそれらの関係性とはどのようなものでしょうか?
今年9月~12月までヴィラ鴨川に滞在するドイツの芸術家4人は、これまで数々の外国滞在を重ねてきました。世界的に活躍する舞台演出家・美術家やなぎみわ氏と、日本の伝統芸能を支える邦楽家・重森三果氏とともに、現代の国際化社会に則した「文化的アイデンティティのあり方」について話し合いました。
- ビデオ Creators@Kamogawa 座談会 『アートに国籍は必要か?』 (10分)
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Goethe-Institut
Donnerstag, 29. Oktober 2015
【YouTube】 2015/9/19, Creators@Kamogawa 座談会 『アートに国籍は必要か?』 „Kulturelle Identität“
Geschrieben von Villa Kamogawa
um
06:18
Freitag, 9. Oktober 2015
【ハイライト】 2015/7/11, Creators@Kamogawa 座談会 『フリーはつらいか ~ 表現者の様々な生き方』
今年4月中旬~7月中旬までヴィラ鴨川滞在中のドイツ人芸術家5人による座談会。登壇アーティストは、スザンナ・ヘアトリッヒ(美術家)、アンティエ・テプファー(人形劇作家)、フィリップ・ヴィトマン(映画製作者)、イリス・ドレーゲカンプ(ラジオドラマ演出家)、トーマス・ヴェーバー(音楽家)。ゲストに椿昇(現代美術家)とあごうさとし(劇作家、演出家、俳優)を迎え、小崎哲哉(編集者)の司会のもと、フリーランスの表現者を取り巻く問題について話し合いました。マーケットの仕組み、大学教育、公的・私的支援の可能性、文化政策の影響など、多岐にわたる議論が展開されました。(敬称略)
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小崎: 今日の座談会のテーマは、前提の共有がとても難しい。欧米と日本の違いもあるし、活動領域によって、収入の得方や助成金のシステムが異なるからです。
参考までに、オランダ人のアーティストで経済学者でもあるハンス・アビングは『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』という本の中で、第2次世界大戦以降、アーティストの数の増加に応じて、政府や自治体の助成金が増え、広く薄く分配されるようになった結果、むしろアーティストの状況は悪くなったと主張しています。
最近の彼の講演から、より新しいデータを紹介します。欧米におけるアーティスト(美術家、舞台芸術家、音楽家)の4~6割は、副業を含んでも、総収入が「貧困ライン」を下回ります。ただ、アーティストの1%だけが、例外的に非常に高い収入を得ている。そして、アーティストの77%が社会保障を必要とし、約半数がアートの収入よりも副収入のほうが多く、6~9割が様々な副業を持っている。経済学者としての彼の結論は、収入が低いということは、アーティストの供給過剰を示すというものです。これが、先進国における現代のアーティストを取り巻く経済的状況だと思います。
小崎: これを踏まえて、ご自身がフリーランスである理由と、長所と短所をそれぞれ伺います。
ヘアトリッヒ: 私は、研究分野においてもレジデント・リサーチャーなど、アートだけでなく産業の世界やアカデミックな世界との間でずっと活動しています。研究員としてのポジションや収入を得られたおかげで、アーティストとしての道も歩むことができました。
ヴィトマン: 私は大学卒業時、フリーで映画をつくる予定はなく、映画の製作会社を志望していました。並行して、若いフィルムアーティストのためのプロジェクトに参加しましたが、まず研修生として始めなければならず、収入も少なく、自分がやりたいこととは違うと気がつきました。そして色々な副業をしながら、映画制作を試みてきました。ここ数年は、自分の制作だけで生活できるようになってきました。上の世代の人たちがきちんとステップアップしているのを見てきたので、不安よりも希望のほうが大きいです。ただ実際には、公的な支援や助成金に依存していることは確かです。支援を受けた機関から、観客のことをもう少し考えた作品をつくるようにと示唆されたこともあります。
椿: 僕の場合、大学の教師などの定職があったので、ずっとフリーではありません。日本社会では、公務員の副業は禁止されていますが、僕はずっとインフォーマルで稼いできました。その中で世界中に友達ができて、チャンネルも開かれていった。僕は、収入源はタコのように8本くらい用意しておくと良いと思っています。1つの仕事を失っても困らないし、組織の言いなりになってしまうと、自由な発言ができなくなるからです。この国は、極めてフリーランスを嫌います。企業は、副業をさせない代わりに手厚い福利厚生をしたりして、囚人として閉じ込めようとする。でもそれは全然クリエイティブな生き方でないし、人と繋がっていくこともできない。僕は、イリーガルは嫌いだけど、インフォーマルは非常に重要だと思います。それがやはり社会を豊かにするし、人間を生きていく方向に力強くドライブしてくれるし、アーティストの力だと思います。だからアーティストは、移動しながら、常に一定の場所にいないことが重要だと思います。
テプファー: 私は大学を卒業した直後にフリーランスになって以来、非アーティスト的な副業は特にやっていません。大学時代、カルチュラル・マネジメントというか、自分をどう市場に出すかは学びませんでしたが、劇場やフェスティバルの主催者とのネットワークを自分で築いてきました。私はフリーであることを一度も後悔したことはありません。常にリスクにさらされているデメリットもありますが、自分で創造できる仕事はすごく面白い。そして、ネットワークを持ち、仲間と助け合うこともとても大切です。
あごう: 私は大学卒業後、広告会社でコピーライターのような仕事をしました。でも、大学時代にサークル活動としてやっていた演劇をやはりしたいと思って、会社を辞めて、劇団をつくりました。アルバイトをしながら演劇活動を続け、10年ほど前から演劇が少しずつ収入になってきました。今は劇場のディレクターや大学の職と、作品を買っていただくなど、5、6本の収入源があります。
ヴェーバー: 私は大学を中退し、20年ほど前に音楽家として出発し、色々なアルバイトをしました。数年前からは、音楽家として色々な収入源があります。コンサートの出演料、CDや音楽データのダウンロードの売り上げ、ラジオドラマのコンセプトや作曲のギャラなどです。
ドレーゲカンプ: 私は数年前、あるラジオ局で、ジャーナリストではなく、ラジオドラマの制作という芸術的な分野で働くことができました。それは収入を得るだけではなくて、新しいことを学べる仕事でした。ヴェーバーさんのような他の人と一緒に仕事をすることで、いつも挑戦状をつきつけられるような刺激を受けました。作品について色々な人と議論する機会や評価も得られるので、こうした制作ができることは非常にラッキーだと思っています。
小崎: 皆さんは素晴らしいキャリアを築いていますので、当たり前かもしれませんが、今のお話からポジティブな印象を受けました。
小崎: 芸術大学を卒業した学生は、就職問題や、アーティストとしてどうやって食べていくかという問題に直面します。椿さんに、京都造形芸術大学で美術工芸学科の学科長として取り組んでおられる試みについてお聞きします。
椿: 他の日本の大学や社会で同じことが行われていると一般化できないという前提でお話しします。芸術大学へ行くということは、クリエイティブな人生を選ぼうとしたということです。しかし学生は、3回生になるとほぼ全員、一時の夢だったと諦めて就職活動を始めます。僕はそれに対して「おかしい」と思っています。自分のクリエイティブなアイデアやビジョンを売って生きていけるようにしたいと思って、大学の中で改革を始めました。卒業制作展を美術館から学内に移し、作品の売買ができるようにしました。売上は全部、学生たちに還元します。5年目を迎えた昨年度は、650万円を売り上げました。補助金に頼らずに自分の力で立ち上がっていく学生が増えてきたのは非常に嬉しいし、会社経営者やコレクターの人たちに買っていただけるようになりました。作品の前に立っている学生たちと話す過程で、彼らのビジョンやステートメントと一緒に作品を見て、それに感動して応援しようという形に変わってくれているので、決してマーケットへの迎合ではなく、原始的な形で信頼関係を築くステージだと思っています。それが結果的に経済に繋がったというだけです。
テプファー: 演劇の場合、多くの助成金で成り立っています。劇場によっては収入を自力で得ざるをえないケースもありますが、その場合は中身を大衆向けに変更せざるを得ません。自分の作品を売るということは、自分のアートでどこまでサービスするのか判断する必要があります。それは政治の分野にも関連する問題です。もちろん、助成金の倍率は高いですが、そのおかげで自由なアートが生み出されます。特定のスポンサー企業の意向とは関係なく、アートを制作できるという大きなメリットがあります。
あごう: 私は去年9月から、アトリエ劇研という小劇場のディレクターに就いて劇場の運営にあたっています。日本の一般的な民間劇場は、基本的に「貸し館」という形で収入を得ていますが、私たちの劇場はヨーロッパの劇場のスタイルを導入して、今年4月から年間プログラムと支援会員制度を始めました。その目的は、劇場文化を日本にも深く定着させたいためです。劇場文化とは、市民が日常的に劇場に通う文化です。支援会員制度とはフリーパスポート制で、年間2万か3万円を払うと、劇場の推薦した28公演あるいは47公演全部を見ることができます。関西の民間劇場の取り組みとしては初めてで、この制度を東京のこまばアゴラ劇場と共有しました。今は2館だけですが、今後なるべく広いネットワークをつくっていきたいです。
この支援会員制度は、貸し館の使用料以外の劇場の財源になり、アーティストやカンパニーにもお金が支払われるので、カンパニーと支援者と劇場の3者がウィンウィンになる関係をつくっていきたいと考えています。劇場そのものに対する助成金はありますが、民間劇場の場合は装備が足りないので、劇場への直接支援はなかなか下りません。なので、私たちがとるべき手段は、オルタナティブな支援会員制度をつくるか、事業ごとに個別に助成金を獲得するか、メセナの3つです。ただ、支援会員は現時点で26名と少なく、新聞での紹介や告知などの努力もしていますが、普及はなかなか難しいです。
小崎: 大きな支援がないフリーの表現者や団体がどう生き延びていくかというときに、見てくれるお客さんを増やす試みとして、この取り組みは非常に面白いと思います。
ところで、CDやDVDなど、パッケージ系のソフトウェアが売れなくなってきています。有料のダウンロードコンテンツも厳しいと聞きます。フリーの表現者として、どうすればいいと考えていますか。
椿: 今はスマートフォンがあれば、YouTubeなどの動画共有サイトで全部見られてしまうことが問題なんです。それよりも、実際に作品の前に立って作者と語った時に、「もっと強い体験がある」ということを、一人一人の観客にわかってもらう必要がある。特に若い世代に対してはそうです。油絵の制作などは田んぼを耕すようなものだから、すごく身体的なんです。決して情報だけではない。僕たちには身体があり、脳も身体なんだということを、一人一人、作品の前で感じてもらう行為が僕のやっていることです。マーケット志向ではなくて、より原初的な力を自分たちが持っていることを思い出してほしいと思っています。
ヴェーバー: 悲観的かもしれませんが、特に音楽の分野に関しては、YouTubeは物事を改善したわけではないと思います。ナマの音楽の体験より劣っているし、CDやダウンロードの売り上げも減ってきました。今、ストリーミングのサービスが流行っていますが、ほとんどアーティストにお金を払っていないのが現状です。15年前はCDで収入が得られましたが、ダウンロードで得られる金額は全然比較にならず、生活をまかなえません。マーケットを調べて、自分の参入できる隙間を見つけたり、色々なチャンネルを探すことは非常に時間がかかります。でも最終的にはアートのためにはならないし、時間ももったいない。本来の創作活動から、自分の注意がそれてしまうので。もちろん、生活もしなければいけないので、全く無視できませんが。
ヴィトマン: 映画はもともと市場の中で生まれたもので、作品を売る必要が出発点にありました。今のファインアートにおいて動画が重要になっているのは事実ですが、エンターテイメントではなく、アートとしての映画をつくろうとする人にとっては、市場は非常に限られています。ギャラリーも少なく、フェスティバルで発表もできますが、フェスティバル自体も自転車操業なので、収入にはならないのが現状です。数年前からはオンラインで見せることもできるので、YouTubeは私にとって別に敵ではなく、発表の可能性の1つだと思います。
小崎: 皆さんの作品は実験的で、非商業的であることが共通点だと思いますが、非商業的なものを自分の生活にどう役立てるかという問題は常にあると思います。ラジオの場合、ラジオ局の予算の中から、プロデューサーの方針で番組が決められるので、アーティストと共犯関係に立てる人がいて、ドレーゲカンプさんのような仕事が成立していると思います。ラジオというメディアの将来も含めて、ご自分の創作の将来については、どのような展望をお持ちですか。
ドレーゲカンプ: 文化的なラジオ番組にはお金がかかりますし、予算が削減されるのはどうしても文化面になりがちです。ですから、子供番組などと協力して作品をつくることが必要になってきます。民放のラジオ番組に助成はありません。以前、フライエ・ゼンダー・コンビナート(FSK)というハンブルクのラジオ局がすばらしい番組をつくっていました。例えば、社会学者のジグムント・バウマンがテクストを読む番組です。ただ全くお金がもらえない番組なので、ラジオドラマの制作者たちが劇場に進出してコラボレーションしたり、色々な分野間の境界を横断するような活動が行われています。
小崎: 今日の座談会は、「フリーはつらい」というグチに終わらないようにしたいと思っていましたが、今までのお話を聞いていて、そのヒントがたくさん隠れているような気がします。例えば、ラジオ局での文化的な取り組み、あごうさんが支援会員を増やし、椿さんが作品と出会う場をつくるなど、フリーの表現者と共感する感性を持つ人が増えれば、皆が辛くなくなるのではないかと思います。アーティストやクリエイターは、仲間が多ければ、気持ちの上でも生計の上でも成り立っていくのではないでしょうか。
ヘアトリッヒ: 私は、アーティストはいつも自分のアートで食べていけないとダメなのかと疑問に思っています。例えば、アートの売買システムに巻き込まれてしまい、結局、アートのためにつくるけれど作品は売らないで、他に仕事を持つというスタンスを取るようになった友人がいます。最近、私も、自分の作品をどこまで宣伝して市場に出すのか、依頼されたことと本来やりたいことは同じなのか、そうしたクリエーションをやる意義があるのかと感じていて、その友人のスタンスがわかってきました。アートで食べていきたいかどうか決断することはとても重要だと思います。アートで食べることの難しさを話してきましたが、それが唯一の選択肢ではなく、他の選択肢もあるということです。
小崎: 最初にヴィトマンさんが、助成金を受けたときに、もう少しポピュラーなものをつくったらどうかと示唆されたと話していましたが、国や公共機関の支援は、表現内容に影響を及ぼすと思いますか。また、民間によるクラウドファンディングの可能性については、どうお考えですか。
ヘアトリッヒ: クラウドファンディングを使ったほうが、自分の魂を売ってしまうと思います。公の助成金を得るためにはむしろ中身を批評されますが、アーティストの自由度はより保障されています。助成金を得た作品を見ると、多様性に富んでいますが、クラウドファンディングを使った作品を見ると、非常に幅が狭いです。メインストリームに訴える必要があるので。
ヴィトマン: フリーのアーティストとして働いた場合、大きな自由は、皆が不要だと思っていることをやっていいということです。でもクラウドファンディングを使うと、皆がわかるように魅力的な形に加工する必要があります。もちろん公の助成金をもらうためにもきちんとプレゼンする必要はありますが、公の助成金のほうが、直接的な目的がないものも認めてくれていると思います。
あごう: たくさんの人に見に来てくださいということは、100年くらい前からずっと演劇人が言い続けてきて、状況はあまり変わっていません。先ほどから助成金の話が出ていますが、私たちのような小劇場の場合、助成金がなくても客席さえ埋まれば、ペイできる可能性があるんです。すると、生業にはならないけれど、作品は自律するんです。個々の劇団の努力に任せていると大変ですが、観客が来る劇場が1つでもできると、色んな人が作品に参加できるし、作品をつくりたいけれど集客やお金で悩んでいる人も、勇気を持って一歩踏み出せる。そこから才能が出てくるかもしれない。助成金はもっと大規模なものをサポートするといった具合に扱い分けができれば良いなと思っています。
小崎: アーティストらしい発言がどんどん皆さんから出てきました。やはりアーティストは楽しいと思っているからやっているわけで、今よく「多様性の称揚」と言われますが、「多様性」ってつまり、色んな人がいるから面白いということですよね。普段、芸術に接する機会が少ない人がアーティストの活動を見たときに、色んなことを気づかされるのではないかと思います。
編集: 高嶋慈
写真: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
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【現代のアーティストを取り巻く経済的状況】

参考までに、オランダ人のアーティストで経済学者でもあるハンス・アビングは『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』という本の中で、第2次世界大戦以降、アーティストの数の増加に応じて、政府や自治体の助成金が増え、広く薄く分配されるようになった結果、むしろアーティストの状況は悪くなったと主張しています。
最近の彼の講演から、より新しいデータを紹介します。欧米におけるアーティスト(美術家、舞台芸術家、音楽家)の4~6割は、副業を含んでも、総収入が「貧困ライン」を下回ります。ただ、アーティストの1%だけが、例外的に非常に高い収入を得ている。そして、アーティストの77%が社会保障を必要とし、約半数がアートの収入よりも副収入のほうが多く、6~9割が様々な副業を持っている。経済学者としての彼の結論は、収入が低いということは、アーティストの供給過剰を示すというものです。これが、先進国における現代のアーティストを取り巻く経済的状況だと思います。
【フリーランスである理由、長所と短所】
小崎: これを踏まえて、ご自身がフリーランスである理由と、長所と短所をそれぞれ伺います。
ヘアトリッヒ: 私は、研究分野においてもレジデント・リサーチャーなど、アートだけでなく産業の世界やアカデミックな世界との間でずっと活動しています。研究員としてのポジションや収入を得られたおかげで、アーティストとしての道も歩むことができました。

椿: 僕の場合、大学の教師などの定職があったので、ずっとフリーではありません。日本社会では、公務員の副業は禁止されていますが、僕はずっとインフォーマルで稼いできました。その中で世界中に友達ができて、チャンネルも開かれていった。僕は、収入源はタコのように8本くらい用意しておくと良いと思っています。1つの仕事を失っても困らないし、組織の言いなりになってしまうと、自由な発言ができなくなるからです。この国は、極めてフリーランスを嫌います。企業は、副業をさせない代わりに手厚い福利厚生をしたりして、囚人として閉じ込めようとする。でもそれは全然クリエイティブな生き方でないし、人と繋がっていくこともできない。僕は、イリーガルは嫌いだけど、インフォーマルは非常に重要だと思います。それがやはり社会を豊かにするし、人間を生きていく方向に力強くドライブしてくれるし、アーティストの力だと思います。だからアーティストは、移動しながら、常に一定の場所にいないことが重要だと思います。

あごう: 私は大学卒業後、広告会社でコピーライターのような仕事をしました。でも、大学時代にサークル活動としてやっていた演劇をやはりしたいと思って、会社を辞めて、劇団をつくりました。アルバイトをしながら演劇活動を続け、10年ほど前から演劇が少しずつ収入になってきました。今は劇場のディレクターや大学の職と、作品を買っていただくなど、5、6本の収入源があります。

ドレーゲカンプ: 私は数年前、あるラジオ局で、ジャーナリストではなく、ラジオドラマの制作という芸術的な分野で働くことができました。それは収入を得るだけではなくて、新しいことを学べる仕事でした。ヴェーバーさんのような他の人と一緒に仕事をすることで、いつも挑戦状をつきつけられるような刺激を受けました。作品について色々な人と議論する機会や評価も得られるので、こうした制作ができることは非常にラッキーだと思っています。
小崎: 皆さんは素晴らしいキャリアを築いていますので、当たり前かもしれませんが、今のお話からポジティブな印象を受けました。
【大学での教育】
小崎: 芸術大学を卒業した学生は、就職問題や、アーティストとしてどうやって食べていくかという問題に直面します。椿さんに、京都造形芸術大学で美術工芸学科の学科長として取り組んでおられる試みについてお聞きします。

【フリーで続けていくためには】
テプファー: 演劇の場合、多くの助成金で成り立っています。劇場によっては収入を自力で得ざるをえないケースもありますが、その場合は中身を大衆向けに変更せざるを得ません。自分の作品を売るということは、自分のアートでどこまでサービスするのか判断する必要があります。それは政治の分野にも関連する問題です。もちろん、助成金の倍率は高いですが、そのおかげで自由なアートが生み出されます。特定のスポンサー企業の意向とは関係なく、アートを制作できるという大きなメリットがあります。

この支援会員制度は、貸し館の使用料以外の劇場の財源になり、アーティストやカンパニーにもお金が支払われるので、カンパニーと支援者と劇場の3者がウィンウィンになる関係をつくっていきたいと考えています。劇場そのものに対する助成金はありますが、民間劇場の場合は装備が足りないので、劇場への直接支援はなかなか下りません。なので、私たちがとるべき手段は、オルタナティブな支援会員制度をつくるか、事業ごとに個別に助成金を獲得するか、メセナの3つです。ただ、支援会員は現時点で26名と少なく、新聞での紹介や告知などの努力もしていますが、普及はなかなか難しいです。

ところで、CDやDVDなど、パッケージ系のソフトウェアが売れなくなってきています。有料のダウンロードコンテンツも厳しいと聞きます。フリーの表現者として、どうすればいいと考えていますか。
椿: 今はスマートフォンがあれば、YouTubeなどの動画共有サイトで全部見られてしまうことが問題なんです。それよりも、実際に作品の前に立って作者と語った時に、「もっと強い体験がある」ということを、一人一人の観客にわかってもらう必要がある。特に若い世代に対してはそうです。油絵の制作などは田んぼを耕すようなものだから、すごく身体的なんです。決して情報だけではない。僕たちには身体があり、脳も身体なんだということを、一人一人、作品の前で感じてもらう行為が僕のやっていることです。マーケット志向ではなくて、より原初的な力を自分たちが持っていることを思い出してほしいと思っています。

ヴィトマン: 映画はもともと市場の中で生まれたもので、作品を売る必要が出発点にありました。今のファインアートにおいて動画が重要になっているのは事実ですが、エンターテイメントではなく、アートとしての映画をつくろうとする人にとっては、市場は非常に限られています。ギャラリーも少なく、フェスティバルで発表もできますが、フェスティバル自体も自転車操業なので、収入にはならないのが現状です。数年前からはオンラインで見せることもできるので、YouTubeは私にとって別に敵ではなく、発表の可能性の1つだと思います。
小崎: 皆さんの作品は実験的で、非商業的であることが共通点だと思いますが、非商業的なものを自分の生活にどう役立てるかという問題は常にあると思います。ラジオの場合、ラジオ局の予算の中から、プロデューサーの方針で番組が決められるので、アーティストと共犯関係に立てる人がいて、ドレーゲカンプさんのような仕事が成立していると思います。ラジオというメディアの将来も含めて、ご自分の創作の将来については、どのような展望をお持ちですか。

小崎: 今日の座談会は、「フリーはつらい」というグチに終わらないようにしたいと思っていましたが、今までのお話を聞いていて、そのヒントがたくさん隠れているような気がします。例えば、ラジオ局での文化的な取り組み、あごうさんが支援会員を増やし、椿さんが作品と出会う場をつくるなど、フリーの表現者と共感する感性を持つ人が増えれば、皆が辛くなくなるのではないかと思います。アーティストやクリエイターは、仲間が多ければ、気持ちの上でも生計の上でも成り立っていくのではないでしょうか。

小崎: 最初にヴィトマンさんが、助成金を受けたときに、もう少しポピュラーなものをつくったらどうかと示唆されたと話していましたが、国や公共機関の支援は、表現内容に影響を及ぼすと思いますか。また、民間によるクラウドファンディングの可能性については、どうお考えですか。

ヴィトマン: フリーのアーティストとして働いた場合、大きな自由は、皆が不要だと思っていることをやっていいということです。でもクラウドファンディングを使うと、皆がわかるように魅力的な形に加工する必要があります。もちろん公の助成金をもらうためにもきちんとプレゼンする必要はありますが、公の助成金のほうが、直接的な目的がないものも認めてくれていると思います。

小崎: アーティストらしい発言がどんどん皆さんから出てきました。やはりアーティストは楽しいと思っているからやっているわけで、今よく「多様性の称揚」と言われますが、「多様性」ってつまり、色んな人がいるから面白いということですよね。普段、芸術に接する機会が少ない人がアーティストの活動を見たときに、色んなことを気づかされるのではないかと思います。
編集: 高嶋慈
写真: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
Geschrieben von Villa Kamogawa
um
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