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Creators@Kamogawa 座談会「ベルリン×京都」のハイライト映像はこちらのリンクからご覧いただけます:
- ビデオクリップ Creators@Kamogawa 「ベルリン×京都」 (2 min.)
- ハイライト 前編 ― 鴨川という川 (15 min.)
- ハイライト 後編 ― 歴史の煩わしさ (15 min.)
日独クリエイターが熱く語る会場の様子を映像でご覧ください。次回は、9月23日に「記憶と記録」をテーマに開催します!
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Freitag, 12. September 2014
【YouTube】 2014/7/12, Creators@Kamogawa 座談会 「ベルリン x 京都」 "Berlin x Kyoto"
Geschrieben von Villa Kamogawa
um
03:49
Donnerstag, 11. September 2014
【ハイライト】 2014/7/12, Creators@Kamogawa 座談会「ベルリン×京都」
2014年7月12日(土)18:30~
Creators@Kamogawa ドイツアートBar 座談会「ベルリン × 京都」
参加者:
ベギュム・エルジヤス (振付家)
ヤン・イェリネク (電子音楽作曲家)
マリオン・ポッシュマン (小説家・詩人)
トーマス&レネー・ラペディウス (現代美術作家)
福永 信 (小説家)
伊藤 存 (現代美術作家)
司会:小崎 哲哉 (編集者・アートプロデューサー)
日独同時通訳付
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小崎: 今回の5人のレジデンツは、奇しくも皆ベルリン在住。ベルリンから京都にいらっしゃっています。小説家の福永信さんと美術作家の伊藤存さんに来ていただきましたが、このおふた方は京都在住です。
今回のテーマは「ベルリンと京都」ですが、「在住」ではあっても、5人の中にひとりもベルリン出身の人はいません。福永さんも伊藤さんも、かくいう私も京都出身ではない。全員がよそ者です。ですから、よそ者の特権で、それぞれの都市のことを客観的に話すことができればと思います。とりわけ、表現をする人にとって、創作するにあたって、ふたつの都市にはどんな特徴があって、そこでインスパイアされるものは何なのか。
まずは、京都でどの場所が一番好きか、ご自身の好きな場所を教えてくださいますか。
レネー: 一番好きな場所をひとつ選ぶというのはすごく難しいです。今日はこのヴィラ鴨川の中にいて、そこのテラスにいるときが一番良いな、というときがあれば、夜に川沿いを散歩しているときや、日本のスーパーでドイツにないものを見ている時間が一番と感じるときもあります。
トーマス: 京都での滞在が終わりに近づき、ひとつ作品を完成させることができましたが、私たち自身はここで作品をつくることを意図していたわけではありませんでした。とにかく京都を見たい、自分の中に吸収したい、と思って今回来ましたから、私も面白いと思うものがたくさんあったという感じです。
ベギュム: 私もこの質問に対して、毎日違う答を出すと思います。今日は「鴨川」が一番好きな場所だとお答えしたいです。鴨川には音楽やダンスの練習をしている人がいたり、散歩をしているだけの人、ビールを飲んでいる人もいる。多くの人たちが分かち合っている場所だからです。鴨川のインフォーマルな感じが私にとってインスピレーションを与えてくれる場所だと思っています。
ヤン: 私もベギュムと同じで「鴨川」ですね。鴨川の中でも、ちょうど川が分かれていて、橋がかかっているところです。ここが私にとって、この街、京都を象徴している場所だと思いました。橋というのは都市を表している建築物ですね。すごく交通量も多い橋です。で、その橋の下に行って石に腰掛けてみると、突然ものすごく田舎に来たかのような印象を受けます。都市の象徴である橋がよく見えるのにも関わらずです。まさにそれが私の思う京都です。間違いなく京都は大都市ですけれども、同時に田舎の要素も持っている。そのふたつの要素が融合されているのだと思います。
マリオン: 私は、たくさんお気に入りの場所があるのですが、その中でひとつあげるとしたら、「京都御所のまわりにある庭園」ですね。私がそもそも公園や庭園に興味があるということもあると思うのですが、京都御所の庭園にはとても広々とした空間が広がっていました。まるで芸術としての庭園から本当の自然の中に迷い込んだような気がしました。
小崎: ありがとうございます。では続いて、福永信さん。京都の好きな場所を。
福永: 私は京都に住んでいるので、好きな場所というのは、改めて考えたことがないのですが、意識して考えてみると、「鴨川」でしょうか。
僕が好きなのは、歩いていけるところです。長い川がずっと続くので、その川沿いを歩いていけば、迷子にならずにかなりの距離をかせぐことができる。風景は劇的に変わることはないが、まったく変わらないわけでもない。川に目を向けてみると、川も、同じ水のようで少しずつ変化している。カモがいたり、トンビが狙っていたり。そんなスリルも味わえる。まるで小説を読んでいるような、というといいすぎですが、ひとつの文章を横にあるいは縦にたどっていって、ある種の変化を自分が積極的に感じるような場所だと思います。今みなさんのお話をうかがって考えるとそんな文学的な場所に見えてきました。
小崎: 鴨川をめぐるトークみたいになってますが(笑)。伊藤さんのお好きな場所は?
伊藤: 20年ぐらい住んでいると好きな場所はいっぱいあります。僕はもともと大阪出身ですが、大阪はどこまでも平坦な土地なので、京都の、まわりを小さな山に囲まれている箱庭のような印象の地形でしょうか。僕の場合は鴨川ではなくて「桂川」なんですけど、それをさかのぼって上流に行くと、小さな山が連なった地域に出ます。そこで魚釣りをして、1時間ぐらいで帰って来れる。そんなコンパクトなところが自分には合っていると感じています。
海外の広くて湿気のないところに行ったりすると、山の存在や、まとわりつくような湿気がないことで心細くなることがありますが、京都はそういったものに守られているような、ゆりかごのような印象があります。
小崎: 伊藤さんは20年、レネーさんとトーマスさんは3ヶ月ですが、(座談会会場に展示されていた作品に関して)京都に影響されてこの作品ができたわけですよね。
トーマス: 作品のこの部分がこういうアイデアにつながった、という直接的なことははっきり言葉にできませんが、そういう部分もあると思います。この作品は、プリンタがあったから、そしてプリンタのインクがなくなってしまったから、からっぽのカートリッジがあったからできた。3ヶ月いたから、インクが無くなったからできた、という部分があるので、その意味では場所との関係があってできた作品といえますが、でもそれは、京都だからといえるわけでは残念ながらありませんが。
川の話が何度もあがっていますが、私も鴨川はこの街にとって、ひとつの血流のような存在だと思います。
レネー: 「流れる」ということもすごく大事で、水は流れているし、常に変わっている、という川の性質も、この作品のとても重要な要素となりました。またたくさんのお寺を見学したこと、そこでも水が大変重要な役割をはたしているということを感じました。少し郊外にも出かけていって、滝の写真も撮影しましたが、水の流れというのは、いろいろと影響を与えてくれたと思います。
小崎: マリオンさんの詩の本の表紙は、自然をモチーフにしたビジュアルが多いですね。庭の話もそうですが、水や自然が創作に影響を与えるようなことはあるんでしょうか。
マリオン: はい、自然の一部としての水は、私の作品に必ず登場します。詩の場合には、自然と主観性について、それぞれがどう関わり合っているのかということを意識しています。
京都の水は、抽象的な形で私の興味を引きました。今回の滞在は庭園、公園を見るということが重要なテーマだったので、毎日のように庭園を見学に行きました。例えば石庭では、水や川を砂利や石で表現していますね。この比喩はとても素敵だと思いました。私の詩の中でも、そういう効果を表現することができたら、と思っています。
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小崎: それは大変面白いですね、ダンスや音楽の場合はどうでしょうか。
ベギュム: 私は京都に来て「声」というものを調査しようと思いました。今回の滞在を通じて、一番インスピレーションを得たことは、私はここでは「よそ者」だということです。よそ者としてここに滞在していること、つまりものごとをちゃんとすべて理解できていない、あるいは理解できているかどうかもわからない、常に迷っている状態にあるともいえます。声との向き合い方とそこから生じる迷いというものが、今回の滞在で私にとても大きな印象を与えました。
ヤン: みなさんを失望させてしまうかもしれませんが、私の場合は、京都の印象が直接何か私の作品の形にはなっていません。というのは、私の仕事というのは、自分の生活環境を作品に反映させるというやり方ではないからです。私は音楽家というよりも、音楽のディスクール(言説)について考える立場で仕事をしています。音楽がどのように認知されるか、受容されるのか、そういったことに私は反応して作品をつくっているので、環境に直接結びついているわけではないんですね。
今回私がここにいるのは、金沢出身の日本人アーティスト、Asuna Arashiさんとのコラボレーションが目的です。
小崎: ベギュムさんのお話にあった「よそ者の感覚」についてですが、ベルリンにいらっしゃる前はトルコに住んでいらしたわけですよね。ベルリンでよそ者の感覚を感じることはあるのでしょうか。
ベギュム: そうですね。ドイツでは、私はそれほどよそ者だという意識を持たずにいました。それは私の個人的な経験とも関係しているのですが、私は子供のころに引っ越しの回数が多かったんです。ですからベルリンに来る前から、ドイツ語も少しできましたし、よそ者という感覚をそれほど強く意識することはありませんでした。
また、一方でトルコというのは、西洋化を目指している国でもあります。ドイツには実際たくさんのトルコ人が住んでいます。日本はドイツに比べると、やはりまだ外国人が少ないような気がします。
伊藤: 京都には芸術大学が多いこともあって、違う都市からきて、そのまま京都に住んでいる、という友人がけっこう身近にいます。制作においてはそれほど密ではないけど、同じような目線で話せる友達というのがたくさんいる、ということはありますね。
福永: 僕は東京出身なんですけど、20年以上、京都にいます。(伊藤)存さんが言ったように、大学を出てそのまま滞在している。でも長く滞在している観光客のひとりという感じがありますね。
創作のことと関係づけていうと、ヤンさんのお話に少し近いと思います。僕の作品は小説ですが、「小説というシステムや小説とは何かということを批評的に、小説の中で読み取っていく、という小説」です。つまり書く場所はどこでもいいんですよね。京都という場所には、自分は古典文学から今の現代文学まで継続性をもって書いているんだという方もいらっしゃいますが、僕はそこからまったく切れたところ、観光客のような立場で書いています。そういう人たちの発言もこの都市に許されているということが面白くて今も住んでいます。
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小崎: 福永さんは、小説家として、小説とは何かをとことん考えて、そこに創作のベースを持ってくるというスタイルだと思います。近代以降、あらゆるジャンルで起こっていることでしょう。一方で音楽というのは、サンプリングとコラージュ、あるいはリミックスという手法しかないぐらい、オリジナルなものが生まれにくく、少なくなってきている。創作について、オリジナルなものについてヤンさんはいかがお考えでしょうか。
ヤン: 私は、創作とサンプリングは対立するものではないと思います。サンプリング、あるいは、コラージュすることも創造行為だと思うんです。長く議論されていることでもありますが、サンプリングは、もはや現代的文化とは言えない。コラージュも現代的文化ではないし、音楽とも関係ない。現在は「リインアクトメント(reenactment、再演)」が起きているんだと思います。歴史的な出来事を再現する、ということです。
小崎: アートの世界でもここ2、3年、再演、再上演、再上映といったものが多く行われています。一番有名なケースでいうと、昨年のヴェネツィア・ビエンナーレで、ハロルド・ゼーマンという伝説的なキュレーターが60年代に行った「態度が形になるとき "When Attitudes Become Form"」という展覧会が、再現・再展示されました。
つまりヤンさんは、METROでの「ウルズラ・ボーグナー」のパフォーマンスも、「再演」という文脈で考えられているわけですね。
ヤン: そうですね、サンプリングとは関係ないし、本当の意味では「再演」でもなく、ひとつの「反応」として理解すべきものだと思います。歴史主義的なアプローチで音楽や美術に向き合うことへの反応です。
マリオン: 私もコラージュ、引用は技術であって、その技術をどう使うかが問題なのだと考えます。今回、私は日本の詩と向き合ってみましたが、俳句や和歌などでも、古い詩を引用したり、古い歌を引用したり、あるいは季節の引用が繰り返し行われたりということは非常に古い伝統がありますね。これは私にとってはむしろ新しい、現代的な技術のような印象を受けました。
福永さんは伝統から断絶したところから新しいものを生み出すとおっしゃいましたけど、それはできるんでしょうか。
福永: …不可能です(笑)。でも、知らないということはできます。つまり無知、というのを肯定的にあつかうということは許されていると思います。もちろんそこには批判される要素が、あらかじめまかれているわけですけれど。
ぼくらはもう膨大なテキストに囲まれていて、全てを知るということはできません。もしできるとしたら、誰かが要約した通史や一つの歴史を受け入れるしかありません。本当にすべてを知るということがそもそもできない以上、新しいものを生みだすということは、不可能であるとも、可能でもある、ともいえるのだとぼくは思います。判定する基準が僕にはないという風に思えるんです。しかし、可能ですというふうに冗談めかしていうこともできると、僕は考えています。ちょっとわかりづらいかもしれませんが、許してください。
マリオン: 福永さんは既存のことをあえて無視して、そこから新しい自分だけのものを生み出そうとしているというふうな理解で正しいでしょうか?
福永: うーん、はい、そう、ですね、それでけっこうです(笑)。ただ、あきらめているというわけではないんです。あまりに膨大で、すべてを理解していると思い込みたくない、ということなんです。つまり、いつでも知らない部分、オリジナルを脅かす部分は、すでに過去にたくさん用意されている。現在の僕らは過去から強い視線で見つめられているような気がして、それは僕らが作品をつくるということで、答を出していくしかないかな、と思っています。
ベギュム: 私も福永さんがおっしゃったように、冗談めかして、知らないふりをしてみたり、ちょっとおめでたい感じで物事に向き合ったりというやり方で仕事をします。
私はアマチュア精神みたいなものがすごく大事だと思うんです。どこかに身を置いてみて、そこでは自分はプロとして振る舞うことができない、あるいはそれがたとえ自分のフィールドであっても、自分はそこのことを何もわかってないふりをしてみるとか。アマチュアであることをあえて楽しんでみる、ということを私はよくやっています。で、ちょっと馬鹿なことをいってみたりする。例えば「経済」に振付をしてみたいとか。そもそも経済と振付、お金と振付、声と振付っていうのが、そもそもつながるかどうかわからないところから始めるんです。
でもそれは私のクリエイティビティにとって必要なステップであって、私がひとつのフィールドでよそ者である、ということから出発するんです。それを自分自身に課題として突きつける。間違ってるかもしれませんが、われわれが仕事をするというときに、最初は良いものになるか悪いものになるかって、わからないですよね。
伊藤: 僕は刺繍で絵を描いているんですが、それはそもそも絵を描くときに、歴史と自分を切り離したかったということがあります。今まで気にしてこなかった歴史を切り離す、という意味合いもあって、刺繍でこつこつ絵を描くようにしたんです。ただ、ずっと10年ぐらいやっていると、「作家の○○○っぽいね」といわれたりする(笑)。いつのまにか歴史の中に自分が入っている。歴史から逃れるために始めたはずなのに、歴史みたいなものが追っかけてきて、油断していると、それと対話を始めているような状況があります。最近は『標本の本』という本をつくったというきっかけもあって、例えば銀座に昆虫がいるということを伝える手段として、それをスケッチして、徐々に手に馴染むようサンプリングして、リミックスして、ひとつのかたちにつくる、ということをやっています。結局これで僕はもしかしたら、サインやマークのようなものをつくろうとしているのかな、というふうに思ってきています。
ヤン: 私はアーティストと批評家という対立ということも問題だと思います。芸術作品がすぐに歴史というコンテキストの中に収められてしまうこと、アーティストがそう思ってないのに、勝手にそうされてしまうことが問題だと思います。
数年前に、テクノのミュージシャンが80年代の初頭に行ったインタビューをちょっと取り上げてみました。テクノという音楽ジャンルをつくった人たちですが、キャリアの最初のころのインタビューと10年後ぐらいのインタビューを比較しながら読んでみました。10年間批評家と向き合った結果、彼らのインタビューの結果がどうなったか。
最初のころ、自分たちに与えた影響について聞かれたときに、技術的なことしかいってないんですね。こういう機械を使った、こういうプログラムを使ったとか。ですが、10年後のインタビューになると、クラフトワークとか、よく知られた名前や文字が登場して、影響について語られるようになります。これは、批評があったからこそ、それが逆に音楽家にフィードバックされ、ひとつのバイオグラフィがつくられていってしまった過程だと思うんです。それは芸術においても観察することができる現象で、そういうメカニズムができちゃうんですね。あるアート作品が何か世界に向けて芸術的なものを発信する、そうするとそれが受容される、受容の中にはそれを歴史の中に収めるというプロセスも含まれるんです。でもこれはもう付いてまわるものなので仕方ないと思うしかないと考えています。
トーマス: ちょっと質問なんですけど、どっちのインタビューが良かったと思いますか。
ヤン: 私は初期のインタビューのほうが面白かったです。そこにはパラダイムの転換が見られたからです。音楽をやっている人が実は全然音楽に興味を持っていないからこそ、新しいものが生まれた様子がわかったからです。それまで自分がつくったものを、あまり音楽として捉えてないというところが面白かったですね。
レネー: 私の理解が正しければ、ウルズラ・ボーグナー・プロジェクトというのは、まさに芸術の歴史を擬人化しているのではないでしょうか。
芸術史と向き合っている人というのは常に何かを引き合いに出さないといけない感じがしませんか? 私たちは、そういった有名人の名前、著名な名前というのを上げたくない。それよりも私たちは何を見ているのか、どう見ているのか、さらには日常生活において、私たちは何を見ているのか、どう見ているのか、というのが重要。日常生活において、私たちがどこに視点を向けているか、どの部分を重要視しているか、ということが重要だと思います。みなさんがプリンタを見たときに、滝を思い出していただければそれはすごくたくさんのことをやったんだな、という印象を私に与えてくれるので、私はそういうことのほうがずっと重要だと考えています。こういう歴史の連なりの中に自分がいるということよりも、個人が持っているまなざしのほうが重要です。
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会場からの質問: ドイツのみなさんに質問です。今回滞在されたのは、3ヶ月という短い時間だったんですが、例えば5年とか10年とかどうしても日本に住まなければいけないとなったと想像したら、ヨーロッパあるいはベルリンのどの場所を一番恋しく思うだろうと思いますか? 私も最近ベルリンに行っていて、いいところいっぱい見てきたんですけれども、ベルリンと京都の一番大きな違い、コアなものがある場所、エッセンスはどこなのかお聞きしたいです。
レネー: そういう状況に身を置いていないので、お答えするのが難しいですが。日本に滞在している間、ドイツ人と日本人の違いとか、その違いを探すより、共通点を探す方が面白かったです。できれば1年ぐらい滞在したいですが、そこで初めて今の質問に答えられるかもしれません。何かが恋しいと思うまでにまだ至ってないので。ここ3か月は何も恋しいとは思っていませんでした。むしろ帰ったら、家具を処分して、もう少しすっきりしようかなと思っているぐらいです。
トーマス: ベルリンには確かにたくさんのカルチャースポットがあります。現代アートを展示しているギャラリーだけでも600ヶ所ぐらいあるんです。毎晩行っても行ききれないくらい。そういう数の多さはベルリンの魅力だと思います。
あと、ひとつ京都との違いで強調しておきたいのが、1990年以降、つまりベルリンの壁が崩壊して以降のベルリンでは大きな人の移動がありました。当時350万人ぐらいが住んでいたうちの200万人ぐらいがベルリンを離れて、また新たに別の人々が200万人ベルリンにやってきた。ですので、ベルリンのコアな空気みたいなもの自体がないんです。あまりにもたくさんの人がよそからやってきているので、それがベルリンの今の空気をつくっているんですね。
京都はすごく国際的な街でもあります。外国からの留学生もたくさんいるけれども、それはベルリンの雑多な感じとはまた違うもので、ベルリンはまたドイツの中でもすごく特殊なんです。それは知っておいていただきたいと思います。
マリオン: 私も90年代の始めにベルリンに引っ越してきて、大学の後半の数年間をベルリンで過ごして、そのまま住み続けていますが、ベルリンがものすごくエキサイティングなのは、やはり街の抱えている歴史的な状況です。壁が崩壊して新しくスタートした街の持つ魅力。突然、何もない場所に新しい建物が建ったり、あるいは古い建物をリノベーションしたり、芸術的な視点から見ると、とてもエキサイティングで刺激的な発展の仕方です。以前、何もなかった場所に突然、新しいものをつくることができる、それが壁崩壊後のベルリンだったんですね。たぶんそれが、京都に数年滞在するとしたら感じる違いかもしれません。
ベギュム: ベルリンは世界的な都市です。特にアートシーンは、世界中からアーティストが集まってきて、世界中の人と出会えるし。何がドイツ的かというと、ひとつの文化といえるかどうか…。日本では日本人しか知り合いにならなかったですし、多様性だけでいうと、ベルリンの方がいろんな側面であるとも感じました。
小崎: 最後に質問をいただいて、「ベルリン×京都」という看板に偽りはなしという結果になったことを、モデレーターとしてうれしく思います。ありがとうございました。
編集: 松永大地
写真: © Directors Univ, Inc.
Creators@Kamogawa ドイツアートBar 座談会「ベルリン × 京都」
参加者:
ベギュム・エルジヤス (振付家)
ヤン・イェリネク (電子音楽作曲家)
マリオン・ポッシュマン (小説家・詩人)
トーマス&レネー・ラペディウス (現代美術作家)
福永 信 (小説家)
伊藤 存 (現代美術作家)
司会:小崎 哲哉 (編集者・アートプロデューサー)
日独同時通訳付
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【5人から見た京都の風景、あるいは鴨川】

今回のテーマは「ベルリンと京都」ですが、「在住」ではあっても、5人の中にひとりもベルリン出身の人はいません。福永さんも伊藤さんも、かくいう私も京都出身ではない。全員がよそ者です。ですから、よそ者の特権で、それぞれの都市のことを客観的に話すことができればと思います。とりわけ、表現をする人にとって、創作するにあたって、ふたつの都市にはどんな特徴があって、そこでインスパイアされるものは何なのか。
まずは、京都でどの場所が一番好きか、ご自身の好きな場所を教えてくださいますか。
レネー: 一番好きな場所をひとつ選ぶというのはすごく難しいです。今日はこのヴィラ鴨川の中にいて、そこのテラスにいるときが一番良いな、というときがあれば、夜に川沿いを散歩しているときや、日本のスーパーでドイツにないものを見ている時間が一番と感じるときもあります。
トーマス: 京都での滞在が終わりに近づき、ひとつ作品を完成させることができましたが、私たち自身はここで作品をつくることを意図していたわけではありませんでした。とにかく京都を見たい、自分の中に吸収したい、と思って今回来ましたから、私も面白いと思うものがたくさんあったという感じです。
ベギュム: 私もこの質問に対して、毎日違う答を出すと思います。今日は「鴨川」が一番好きな場所だとお答えしたいです。鴨川には音楽やダンスの練習をしている人がいたり、散歩をしているだけの人、ビールを飲んでいる人もいる。多くの人たちが分かち合っている場所だからです。鴨川のインフォーマルな感じが私にとってインスピレーションを与えてくれる場所だと思っています。
ヤン: 私もベギュムと同じで「鴨川」ですね。鴨川の中でも、ちょうど川が分かれていて、橋がかかっているところです。ここが私にとって、この街、京都を象徴している場所だと思いました。橋というのは都市を表している建築物ですね。すごく交通量も多い橋です。で、その橋の下に行って石に腰掛けてみると、突然ものすごく田舎に来たかのような印象を受けます。都市の象徴である橋がよく見えるのにも関わらずです。まさにそれが私の思う京都です。間違いなく京都は大都市ですけれども、同時に田舎の要素も持っている。そのふたつの要素が融合されているのだと思います。

小崎: ありがとうございます。では続いて、福永信さん。京都の好きな場所を。
福永: 私は京都に住んでいるので、好きな場所というのは、改めて考えたことがないのですが、意識して考えてみると、「鴨川」でしょうか。
僕が好きなのは、歩いていけるところです。長い川がずっと続くので、その川沿いを歩いていけば、迷子にならずにかなりの距離をかせぐことができる。風景は劇的に変わることはないが、まったく変わらないわけでもない。川に目を向けてみると、川も、同じ水のようで少しずつ変化している。カモがいたり、トンビが狙っていたり。そんなスリルも味わえる。まるで小説を読んでいるような、というといいすぎですが、ひとつの文章を横にあるいは縦にたどっていって、ある種の変化を自分が積極的に感じるような場所だと思います。今みなさんのお話をうかがって考えるとそんな文学的な場所に見えてきました。
小崎: 鴨川をめぐるトークみたいになってますが(笑)。伊藤さんのお好きな場所は?
伊藤: 20年ぐらい住んでいると好きな場所はいっぱいあります。僕はもともと大阪出身ですが、大阪はどこまでも平坦な土地なので、京都の、まわりを小さな山に囲まれている箱庭のような印象の地形でしょうか。僕の場合は鴨川ではなくて「桂川」なんですけど、それをさかのぼって上流に行くと、小さな山が連なった地域に出ます。そこで魚釣りをして、1時間ぐらいで帰って来れる。そんなコンパクトなところが自分には合っていると感じています。
海外の広くて湿気のないところに行ったりすると、山の存在や、まとわりつくような湿気がないことで心細くなることがありますが、京都はそういったものに守られているような、ゆりかごのような印象があります。
小崎: 伊藤さんは20年、レネーさんとトーマスさんは3ヶ月ですが、(座談会会場に展示されていた作品に関して)京都に影響されてこの作品ができたわけですよね。

川の話が何度もあがっていますが、私も鴨川はこの街にとって、ひとつの血流のような存在だと思います。
レネー: 「流れる」ということもすごく大事で、水は流れているし、常に変わっている、という川の性質も、この作品のとても重要な要素となりました。またたくさんのお寺を見学したこと、そこでも水が大変重要な役割をはたしているということを感じました。少し郊外にも出かけていって、滝の写真も撮影しましたが、水の流れというのは、いろいろと影響を与えてくれたと思います。
小崎: マリオンさんの詩の本の表紙は、自然をモチーフにしたビジュアルが多いですね。庭の話もそうですが、水や自然が創作に影響を与えるようなことはあるんでしょうか。
マリオン: はい、自然の一部としての水は、私の作品に必ず登場します。詩の場合には、自然と主観性について、それぞれがどう関わり合っているのかということを意識しています。
京都の水は、抽象的な形で私の興味を引きました。今回の滞在は庭園、公園を見るということが重要なテーマだったので、毎日のように庭園を見学に行きました。例えば石庭では、水や川を砂利や石で表現していますね。この比喩はとても素敵だと思いました。私の詩の中でも、そういう効果を表現することができたら、と思っています。
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【よそ者の感覚】
小崎: それは大変面白いですね、ダンスや音楽の場合はどうでしょうか。

ヤン: みなさんを失望させてしまうかもしれませんが、私の場合は、京都の印象が直接何か私の作品の形にはなっていません。というのは、私の仕事というのは、自分の生活環境を作品に反映させるというやり方ではないからです。私は音楽家というよりも、音楽のディスクール(言説)について考える立場で仕事をしています。音楽がどのように認知されるか、受容されるのか、そういったことに私は反応して作品をつくっているので、環境に直接結びついているわけではないんですね。
今回私がここにいるのは、金沢出身の日本人アーティスト、Asuna Arashiさんとのコラボレーションが目的です。
小崎: ベギュムさんのお話にあった「よそ者の感覚」についてですが、ベルリンにいらっしゃる前はトルコに住んでいらしたわけですよね。ベルリンでよそ者の感覚を感じることはあるのでしょうか。
ベギュム: そうですね。ドイツでは、私はそれほどよそ者だという意識を持たずにいました。それは私の個人的な経験とも関係しているのですが、私は子供のころに引っ越しの回数が多かったんです。ですからベルリンに来る前から、ドイツ語も少しできましたし、よそ者という感覚をそれほど強く意識することはありませんでした。
また、一方でトルコというのは、西洋化を目指している国でもあります。ドイツには実際たくさんのトルコ人が住んでいます。日本はドイツに比べると、やはりまだ外国人が少ないような気がします。
伊藤: 京都には芸術大学が多いこともあって、違う都市からきて、そのまま京都に住んでいる、という友人がけっこう身近にいます。制作においてはそれほど密ではないけど、同じような目線で話せる友達というのがたくさんいる、ということはありますね。
福永: 僕は東京出身なんですけど、20年以上、京都にいます。(伊藤)存さんが言ったように、大学を出てそのまま滞在している。でも長く滞在している観光客のひとりという感じがありますね。
創作のことと関係づけていうと、ヤンさんのお話に少し近いと思います。僕の作品は小説ですが、「小説というシステムや小説とは何かということを批評的に、小説の中で読み取っていく、という小説」です。つまり書く場所はどこでもいいんですよね。京都という場所には、自分は古典文学から今の現代文学まで継続性をもって書いているんだという方もいらっしゃいますが、僕はそこからまったく切れたところ、観光客のような立場で書いています。そういう人たちの発言もこの都市に許されているということが面白くて今も住んでいます。
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【創作のスタイルについて】
小崎: 福永さんは、小説家として、小説とは何かをとことん考えて、そこに創作のベースを持ってくるというスタイルだと思います。近代以降、あらゆるジャンルで起こっていることでしょう。一方で音楽というのは、サンプリングとコラージュ、あるいはリミックスという手法しかないぐらい、オリジナルなものが生まれにくく、少なくなってきている。創作について、オリジナルなものについてヤンさんはいかがお考えでしょうか。

小崎: アートの世界でもここ2、3年、再演、再上演、再上映といったものが多く行われています。一番有名なケースでいうと、昨年のヴェネツィア・ビエンナーレで、ハロルド・ゼーマンという伝説的なキュレーターが60年代に行った「態度が形になるとき "When Attitudes Become Form"」という展覧会が、再現・再展示されました。
つまりヤンさんは、METROでの「ウルズラ・ボーグナー」のパフォーマンスも、「再演」という文脈で考えられているわけですね。
ヤン: そうですね、サンプリングとは関係ないし、本当の意味では「再演」でもなく、ひとつの「反応」として理解すべきものだと思います。歴史主義的なアプローチで音楽や美術に向き合うことへの反応です。
マリオン: 私もコラージュ、引用は技術であって、その技術をどう使うかが問題なのだと考えます。今回、私は日本の詩と向き合ってみましたが、俳句や和歌などでも、古い詩を引用したり、古い歌を引用したり、あるいは季節の引用が繰り返し行われたりということは非常に古い伝統がありますね。これは私にとってはむしろ新しい、現代的な技術のような印象を受けました。
福永さんは伝統から断絶したところから新しいものを生み出すとおっしゃいましたけど、それはできるんでしょうか。

ぼくらはもう膨大なテキストに囲まれていて、全てを知るということはできません。もしできるとしたら、誰かが要約した通史や一つの歴史を受け入れるしかありません。本当にすべてを知るということがそもそもできない以上、新しいものを生みだすということは、不可能であるとも、可能でもある、ともいえるのだとぼくは思います。判定する基準が僕にはないという風に思えるんです。しかし、可能ですというふうに冗談めかしていうこともできると、僕は考えています。ちょっとわかりづらいかもしれませんが、許してください。
マリオン: 福永さんは既存のことをあえて無視して、そこから新しい自分だけのものを生み出そうとしているというふうな理解で正しいでしょうか?
福永: うーん、はい、そう、ですね、それでけっこうです(笑)。ただ、あきらめているというわけではないんです。あまりに膨大で、すべてを理解していると思い込みたくない、ということなんです。つまり、いつでも知らない部分、オリジナルを脅かす部分は、すでに過去にたくさん用意されている。現在の僕らは過去から強い視線で見つめられているような気がして、それは僕らが作品をつくるということで、答を出していくしかないかな、と思っています。
ベギュム: 私も福永さんがおっしゃったように、冗談めかして、知らないふりをしてみたり、ちょっとおめでたい感じで物事に向き合ったりというやり方で仕事をします。
私はアマチュア精神みたいなものがすごく大事だと思うんです。どこかに身を置いてみて、そこでは自分はプロとして振る舞うことができない、あるいはそれがたとえ自分のフィールドであっても、自分はそこのことを何もわかってないふりをしてみるとか。アマチュアであることをあえて楽しんでみる、ということを私はよくやっています。で、ちょっと馬鹿なことをいってみたりする。例えば「経済」に振付をしてみたいとか。そもそも経済と振付、お金と振付、声と振付っていうのが、そもそもつながるかどうかわからないところから始めるんです。
でもそれは私のクリエイティビティにとって必要なステップであって、私がひとつのフィールドでよそ者である、ということから出発するんです。それを自分自身に課題として突きつける。間違ってるかもしれませんが、われわれが仕事をするというときに、最初は良いものになるか悪いものになるかって、わからないですよね。

ヤン: 私はアーティストと批評家という対立ということも問題だと思います。芸術作品がすぐに歴史というコンテキストの中に収められてしまうこと、アーティストがそう思ってないのに、勝手にそうされてしまうことが問題だと思います。
数年前に、テクノのミュージシャンが80年代の初頭に行ったインタビューをちょっと取り上げてみました。テクノという音楽ジャンルをつくった人たちですが、キャリアの最初のころのインタビューと10年後ぐらいのインタビューを比較しながら読んでみました。10年間批評家と向き合った結果、彼らのインタビューの結果がどうなったか。
最初のころ、自分たちに与えた影響について聞かれたときに、技術的なことしかいってないんですね。こういう機械を使った、こういうプログラムを使ったとか。ですが、10年後のインタビューになると、クラフトワークとか、よく知られた名前や文字が登場して、影響について語られるようになります。これは、批評があったからこそ、それが逆に音楽家にフィードバックされ、ひとつのバイオグラフィがつくられていってしまった過程だと思うんです。それは芸術においても観察することができる現象で、そういうメカニズムができちゃうんですね。あるアート作品が何か世界に向けて芸術的なものを発信する、そうするとそれが受容される、受容の中にはそれを歴史の中に収めるというプロセスも含まれるんです。でもこれはもう付いてまわるものなので仕方ないと思うしかないと考えています。
トーマス: ちょっと質問なんですけど、どっちのインタビューが良かったと思いますか。
ヤン: 私は初期のインタビューのほうが面白かったです。そこにはパラダイムの転換が見られたからです。音楽をやっている人が実は全然音楽に興味を持っていないからこそ、新しいものが生まれた様子がわかったからです。それまで自分がつくったものを、あまり音楽として捉えてないというところが面白かったですね。
レネー: 私の理解が正しければ、ウルズラ・ボーグナー・プロジェクトというのは、まさに芸術の歴史を擬人化しているのではないでしょうか。
芸術史と向き合っている人というのは常に何かを引き合いに出さないといけない感じがしませんか? 私たちは、そういった有名人の名前、著名な名前というのを上げたくない。それよりも私たちは何を見ているのか、どう見ているのか、さらには日常生活において、私たちは何を見ているのか、どう見ているのか、というのが重要。日常生活において、私たちがどこに視点を向けているか、どの部分を重要視しているか、ということが重要だと思います。みなさんがプリンタを見たときに、滝を思い出していただければそれはすごくたくさんのことをやったんだな、という印象を私に与えてくれるので、私はそういうことのほうがずっと重要だと考えています。こういう歴史の連なりの中に自分がいるということよりも、個人が持っているまなざしのほうが重要です。
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【ベルリンのエッセンス】

レネー: そういう状況に身を置いていないので、お答えするのが難しいですが。日本に滞在している間、ドイツ人と日本人の違いとか、その違いを探すより、共通点を探す方が面白かったです。できれば1年ぐらい滞在したいですが、そこで初めて今の質問に答えられるかもしれません。何かが恋しいと思うまでにまだ至ってないので。ここ3か月は何も恋しいとは思っていませんでした。むしろ帰ったら、家具を処分して、もう少しすっきりしようかなと思っているぐらいです。

あと、ひとつ京都との違いで強調しておきたいのが、1990年以降、つまりベルリンの壁が崩壊して以降のベルリンでは大きな人の移動がありました。当時350万人ぐらいが住んでいたうちの200万人ぐらいがベルリンを離れて、また新たに別の人々が200万人ベルリンにやってきた。ですので、ベルリンのコアな空気みたいなもの自体がないんです。あまりにもたくさんの人がよそからやってきているので、それがベルリンの今の空気をつくっているんですね。
京都はすごく国際的な街でもあります。外国からの留学生もたくさんいるけれども、それはベルリンの雑多な感じとはまた違うもので、ベルリンはまたドイツの中でもすごく特殊なんです。それは知っておいていただきたいと思います。
マリオン: 私も90年代の始めにベルリンに引っ越してきて、大学の後半の数年間をベルリンで過ごして、そのまま住み続けていますが、ベルリンがものすごくエキサイティングなのは、やはり街の抱えている歴史的な状況です。壁が崩壊して新しくスタートした街の持つ魅力。突然、何もない場所に新しい建物が建ったり、あるいは古い建物をリノベーションしたり、芸術的な視点から見ると、とてもエキサイティングで刺激的な発展の仕方です。以前、何もなかった場所に突然、新しいものをつくることができる、それが壁崩壊後のベルリンだったんですね。たぶんそれが、京都に数年滞在するとしたら感じる違いかもしれません。
ベギュム: ベルリンは世界的な都市です。特にアートシーンは、世界中からアーティストが集まってきて、世界中の人と出会えるし。何がドイツ的かというと、ひとつの文化といえるかどうか…。日本では日本人しか知り合いにならなかったですし、多様性だけでいうと、ベルリンの方がいろんな側面であるとも感じました。
小崎: 最後に質問をいただいて、「ベルリン×京都」という看板に偽りはなしという結果になったことを、モデレーターとしてうれしく思います。ありがとうございました。
編集: 松永大地
写真: © Directors Univ, Inc.
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