
ドイツのクリエイター4組5人、日本のクリエイター2人と司会者の合計8人の座談会。ある程度ドイツのクリエイターに関して興味を持っている聴衆者が多かったと思うので、アーティストとしての姿勢や一部作品に関するステイトメントが本人の言葉として聞けた貴重な機会であったと思う。が、今回はプロジェクションなども行わず、メインは作品の話ではなく、街についてである。

ヴィラ鴨川でのレジデンスは個々のプロジェクトをもって来日しているものの、滞在の末、京都にて作品としての成果を残すことが必要条件ではないため、人によっては、滞在がどういったものだったのか、できあがった作品といったもののプレゼンテーションなどを行わない場合もある。たしかに創作の場と考えるには短いと思う面はあるが、3ヶ月滞在した街の印象としてはそれぞれどのようなものが映ったのだろうか。

口切りとなった最初の話題ではあったが、「京都の好きな場所は?」という質問に対しては、ほぼ皆が会場すぐの「鴨川」を挙げていたことや、座談会最後に出た会場からの質問への反応は、ドイツ人クリエイターに共通する感覚を垣間みたようで興味深かった。
会場からの質問は、「5年、10年とどうしても日本に住まなければいけないと想像したとき、ベルリンのどこをいちばん恋しく思うと考えますか」というもの。少しひねった質問ではあったが、表面的なものから一歩深く、個々の目線をあぶり出すための格好の趣向だった。このニュアンスが日本語の特徴で、翻訳ではそこまで伝わらないのかもしれないが、少なくとも私は、この質問に対しては、個人的な好みによる答えを期待してしまったのだけど、5人全員が「そういう状況になっていないので答えられない」という内容であった。

その話題までの会話の流れも影響しているが、このことはドイツ人クリエイターたちの魅力につながる誠実さ、実直さを表していたのかもしれない。ベルリンという街に対する発言の端々には、600もの現代アートのギャラリーがあることや、ベルリンの壁崩壊後の人の移動による国際的な街としての魅力などを含ませたものではあった。しかしそれらはいずれも総論的で、個人の視点に関わる具体的な話に進むには、おおよそ時間が足りなかったという印象が強い。
また、5人が気にしていたように思えるレジデンスに関して3か月間という短さ(で京都を語ること)は、それは逆に強みにもなるはずで、短いながらの誤解や早とちりを存分に聞きたかったのだが、それは京都在住者ゆえの勝手な高望みだったのかもしれない。


創作活動や発表において、歴史を意識するか、オリジナルでありたいか、という話題に対するレネー・ラペディウス氏の「(影響を受けた著名なアーティストを挙げて作品について話すよりも)わたしたちは何を見ているのか、どう見ているのか、というのが重要。日常生活において、私たちがどこに視点を向けているか、どの部分を重要視しているか」という見解が示すように、彼女たち自身ももちろんそれを大事にしているはずで、ヴィラ鴨川での滞在にしても、まさにそこの部分に一番おもしろいものがつまっていると思う。個人レベルでの体験がどういったもので、それがいつも(ベルリンでの作家活動や生活)とどう違うのか。他愛のない話からにじみ出る文化の違いやキーワードの面白さにも迫る機会があるとさらに面白いと思う。


文: 松永大地/編集者
写真: © Directors Univ, Inc.
関連リンク: 2014年7月12日(土) Creators@Kamogawa ドイツアートBar 座談会 「ベルリン×京都」