昼過ぎに自宅に戻り、これで今回のドイツ滞在は無事終了したのだ、と思いました。
無事ドイツ滞在を終えられたことに安堵とすると同時に、これほど多くの木更津高専の学生と一緒にドイツに滞在する幸運な機会は二度とないだろうな、と思うと寂しさもありました。
ともあれドレスデンチームのみなさん、ドイツ滞在お疲れ様でした。
ドレスデンで、ドイツ語と悪戦苦闘するみなさんの姿を見て、わたしもかつてドイツでドイツ語を学んでいた時の思い出が(楽しい思い出と恥ずかしい思い出の両方)、フラッシュバックのように蘇ってくる瞬間に何度も遭遇しました。
今でこそドイツ語を教えることを職業とし、ドイツの大学に留学もし、端から見ると、何でも分かっているようにみえないこともないのかもしれませんが(実際は分からないことだらけです)、わたしもかつてドイツでドイツ語を学びはじめた頃は、「はたして自分がドイツ語がちゃんと分かるようになる日が来るんだろうか」と頭を悩ませていた日々がありました。・・・と、そんなことはすっかり忘れていたんだけれど、学生たちと一緒に過ごすことで思い出してしまいました。
わたしは日本の大学に入学後、ドイツの学習をはじめました。
前にも書きましたが、哲学専攻だったので、独文科やドイツ語学科で本格的にドイツ語を勉強していたというわけではありません。
大学の指導教授がドイツ思想専攻以外の東洋思想、英米思想専攻の大学院生を集めて、放課後時間無制限で開いていたドイツ語ゼミに、学部生の頃から参加させてもらったことが、わたしのドイツ語学習の原点になりました。このゼミは素晴らしかったので、わたしはいつか教員になったら、単位の縛りとは無関係なこんな自主ゼミを開きたいものだ、とその頃から思っていました。その希望は、昨年思わぬ形でスタートしたPASCHプログラムによって幾分かは達成されています。
しかし、ゼミ自体は日本の伝統的な訳読ドイツ語で、大学にはドイツ人留学生もいて、少なからぬドイツ人との接触もあったはずなのですが、そこで自分がドイツを話した(話せた)、という記憶は日本での学生時代には殆どありません。
さて、わたしも学生の君たちにばかり失敗談を語らせているわけにもいきますまい。7月のドイツ滞在オリエンテーションの時に今度機会があれば話すと言った「わたしとドレスデンの不思議な関係」について、下記に少し書いてみたいと思います。
実際、以前の旅行記を見てみると(わたしは旅行するときには「旅行記&出納帳」のようなものを毎日付けています)、「ドレスデンとわたしの不思議な関係」と書いてありました。これはちょっと大げさなタイトルではありますが、こうして今年の夏3週間もドレスデンで過ごしたことに、何か私は不思議な感覚を抱いていました。1993年にはじめて訪れて後も、何度もドレスデンは訪問しているのですが、またいつかここに戻ってくるような気がいつもしていたからです。
というわけで、1993年、初めてドイツに行ったときの旅行記の一部を恥を忍んでここに公開します。文章も拙くて、若さを感じさせ、赤面ものですが、ドレスデンチームとドレスデンに滞在した記念として。
教訓は・・・失敗するのはみんな同じと言うことです。
もちろんこれは1993年の感想ですから、2009年のいま自分が抱いている感想とはかなり違います。でも15年以上経っても、わたしが考えていることは、その本質においてこのときのものと一緒です。一人の人間の思考スタイルなんて、何年たっても変わらないものです。
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「ドレスデンと私の不思議な関係のはじまり」
ワイマルでの3週間の滞在が終わり、語学学校で同じクラスだったスイス人のアンネ・マリーのVW Golfに便乗してドレスデンに行った。彼女は60歳過ぎのおばちゃんで、午年だと言っていた。ということは1930年生まれか!?自分の親よりもずっと年上なのに、親しい友人のように話せるのが何故か不思議だ。議論もしたし、文句もたくさん言った(言わないわけにはいかない)。ワイマルの語学学校のクラスには年輩の人も多く、特に教師を職業としている人が多かった。そういう人も、10代20代の学生と一緒になって、授業を受け、食事をし、町に繰り出した。日本の学校の先生ならこうはなかなかいかないと思う。やっぱり日本の<教師−学生>関係はパターナリズムに毒されているよな。フランスの小学校の先生の言葉で印象的だったもの−「何で夏休み中なのに学校の仕事をしなくちゃいけないの。学校に行く必要もないわ。だって夏休みなんだから」。これは、「夏休みとはいえ学校の先生はいろいろ仕事があって忙しいんじゃないの?」といういかにも日本的な私の質問に対しての答えだった。
まあともかくアンネ・マリーは元教師で、シアトルの大学に留学した経験があって、離婚した旦那はアイルランド(北)人で、フランス語(母国語)、英語、ドイツ語、イタリア語を話す。とにかくこれがわたしとドレスデンとの不思議な出会いのはじまりになった。途中、ライプチヒにも寄って、トーマス教会と国立博物館を見る。日曜日のせいかライプチヒの街はとても静かだった。ゲーテ『ファウスト』の舞台にもなったアウエルバッハの酒場にも行ったけれど、博物館の方は既に閉館していた。レストランの方は営業していたみたいだったけど。
そのときLeipzigで撮ってもらった写真。いまよりずっと痩せています。
旧東ドイツは、ホテル事情があまり良くない。高級ホテルはあるのだけれど、手頃な値段のホテルがなかなか無い。従って、一般家庭が一室を提供しているペンションのようなところに泊まることが必然的に多くなる。すると市街地からはやはり離れているし、交通の便が悪くなる。となると車がやはり必要だ。だからVW Golfはとても役だった。車が無かったら、郊外のモーリッツブルクやマイセンまでも足をのばせなかったかもしれない。
ドレスデンは、「ドイツのヴェニス」と言われているらしいが、何だか全然お金をかけて貰っていないよなあという風情だった。第二次大戦で破壊され、そのまま放っておかれたままの建造物が多かった。統一後急ピッチで改築が進んでいるらしい。でも聖母教会はまだ瓦礫の山だ。
ドレスデンには3日もいたのだけれど、「すべて見尽くした。これ以上見るところは無い。早く別の場所に行きたい」と思ってしまった。自分でも何でこんなに退屈な気持ちになるのか分からなかった。ワイマルも小さな町だったけれど、見尽くしたという気はない。こぢんまりとまとまっていないドレスデンの広さが空虚な気持ちにするのかもしれない。ところがどっこいドレスデンは私を見放してはくれなかった。
1993年のゼンパー・オペラ座。観光客の服装に時代を感じます。
3日目の朝、私はドレスデン中央駅から列車でミュンヘンに行くつもりだった。列車の数はそれほど多くないので、 10時過ぎの電車にどうしても乗りたかった。ミュンヘンは是非とも行ってみたい町だったし、その後はヴィーンに行くつもりだった。ペンションのある場所はドレスデン空港の近くで、アンネ・マリーと別れ、バスに乗って駅に向かった。バスは駅までは行かず近くで降ろされた。というよりはわたしが降りた。それで駅に向かったのだが、その駅は中央駅ではなく新駅だった。もう時間もなく、焦っていた私はこの電車なら中央駅に行くだろうと思われるような電車に飛び乗った。乗客の少なさに不安になったが、何とかなるだろうと思っていた。
もちろん何とかなんてならなかった。東京のように、新幹線は東京駅発と決まっているわけではないのだ。その列車は、ゲルリッツというポーランド国境の街行きの列車だった。列車は旧東独時代のものでかなり古く、ロシア語とドイツ語で表記されている。『世界の車窓から』の気分になんてとてもなれなかった。不安でビクビクしていた。ポーランドにはビザ無しでは入れないからだ。間違った電車に乗ったことは明らかだったので、バウツェンという駅で降りた。ドレスデン行きの列車が来るまでの1時間程街をブラブラしようと思ったけれど、町なんてものは存在しなかった。本当に何にも無いところだった。実際にはこのバウツェンという街はソルブ人の町で、かなりの歴史があるらしく、日本に戻ってきてからテレビなどで見る機会もあったのだが、ここは本当に何にもないところだった。
結局、何とかドレスデンに戻ってきて、今からミュンヘンに行っても仕方がないので、フランクフルト・アム・マインまで戻って、夜行でヴィーンに行くことにした。電車の発車までに3時間くらいあったので、コインロッカーに荷物を預けて、もうこれ以上見るところもないドレスデンの町に再び繰り出した。しかし1時間程でまた駅に戻ってきて、駅でぶらぶらしていた。
するとどこかで見たことのあるアジア人が、今着いたばかりの列車から降りて来るではないか!「えー、冗談でしょ」と久々に日本語を発した。1ヶ月ほど前にフルダの宿で出会い、二人で不安いっぱいでエアフルトまでの列車に乗ってきた(電車が旧西ドイツ領から旧東ドイツ領に入ると急に風景が変わり、臭いまで変わってしまってすごく不安をかき立てられた)、医学部をエスケープしてドイツに来ちゃったA君だった。わたしは失敗に落胆していたので、知り合いに久々に会えてうれしかった!お互いの旅のことなどを話して、行き先が異なっていたので別れたが、ひさびさに楽しいひとときだった。その後、私は再び懐かしいワイマルを経由してフランクフルトに行き、そこから夜行に乗ってヴィーンに向かった。(後略)
こちらは1995年にはじめてベルリンに長期滞在したときの写真。普仏戦争戦勝記念塔下で撮影。「恥ずかしついで」にこちらも公開。
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みなさん、機会があったらまたドイツを訪れて下さい。
わたしの今回のドイツ滞在の記録はこれで終わりです。
次なる企画がありますので、いつまでも余韻に浸っていられません。いや実は余韻が残りすぎて困っているんです。
柴田 記



