私が朝大阪に到着した時、日本は素晴らしい快晴の冬の天気で迎えてくれたました―心地よい0度を上回る気温、そしてさんさんと照らす太陽の日差しでもって!京都での素晴らしい幕開けです。私はこれから数日間、ユニークな京都国際マンガミュージアムで催される、マンガをテーマとする国際シンポジウムを訪れます。日本の中心である首都東京と比べ、京都の町での生活は幾分か静かに流れているように思われます。おそらくそれは今日の素晴らしい天気のせいかもしれません。ホテルで少しくつろいだ後、京都精華大学の教授であるジャクリーヌ・ベルント先生と竹宮 惠子先生、そして親切にも私にとってまだ見知らぬ京都を案内してくれる何人かの学生さんたちと、内輪の夕食の席で会いました。とても親切な挨拶とプレゼントの贈呈の後、私は自分のマンガ家としての活動に対する学生さんの質問に応じ、竹宮先生のモンゴルの大草原での乗馬の体験談に興味深く耳を傾けました。いつもながら日本の大変気のきいたサービスに圧倒されつつ、とりわけ美味しい海老フライと焼き鳥を堪能しました。日本食はあまりに美味しいので、予定している2年間の京都滞在の際に明らかに太ってしまいそうで今からとても心配です。それに加え、食べ物のいいにおいがあらゆる街角で私を手招きしているように見えるのです。食べ物の誘惑は、ただただ大きすぎる!
(石橋史子 山田真実 訳)
Saturday, 18. July 2009
猿
窓を開けて、台所に座り、耳を麻痺させんばかりのセミの声を聞きながら、いつものように夢・幻に似た一心不乱に生きるセミの身になっていました。
すると突然厄介なエアコンがうなりだし、私の頭に風を吹き付けてきます。
何かが屋根の上でがたがたと音をたてました。
窓の外を眺めてみると、突然天井から黄土色の猿が庭に飛び降りてきて、こちらを振り返りました。
私は家の周りを取り囲んだ広い庭の中へと消えていく猿に興奮しながら見とれていました。
すると突然大きな声と銃声が響き、屋根の上で足音がしました。
家の外に出てみると、見覚えのある男の人がいました。家の近くのお寺に奥さんとお参りにきていた人です。
お寺での二人はまぶしいくらいの白装束に身を包んでおり、目を引かれました。
男性はこちらをじっと見つめていましたが、私はスケッチを続けました。
お寺や宿は家具や備品が心地よく、無駄なものがありません。
お寺の五つの建物は回廊によってゆるやかに結合され、庭や小さな中庭に向けて開放されています。
ひとつの視点からは、建築のつくりを認識することができませんでした。お寺はいつも新しい組み合わせの景色を生み出します。
空の部屋から、廊下から、古い、人工の庭を見渡す窓から。
一定の調子の合唱による祈りが聞こえました。このために彼らは来たようでした。お経の音は、静寂と穏やかな瞬間は、とても美しく感じられました。
そのときの男性が、この日はもう白い服を着ておらず、宿の塀の前に立っており、うれしそうにパチンコみせたのです。屋根の上の猿を撃つ彼の姿はたいへんなショックでした!
猿は少し離れた場所に座り、こちらを見つめていました。
一匹が、宿の上で騒ぎ出し、ほかの猿たちも、下のほうで 立派なたてがみを持った大きいのと、小さいのが少し距離をとってぶらついていました。
しょうがないので、私はコーヒーを入れて飲みました。
セミはそれぞれに鳴き、鳥の暗い声が響きます。
庭の松はまるで浮世絵で見たもののようでした。
実際に見てみて分かったのは、歪曲した枝と木の葉が、装飾的に絵の中を横断するよう芸術的に美しく手入れされていなくても、すでに様式的であることでした。
すると突然厄介なエアコンがうなりだし、私の頭に風を吹き付けてきます。
何かが屋根の上でがたがたと音をたてました。
窓の外を眺めてみると、突然天井から黄土色の猿が庭に飛び降りてきて、こちらを振り返りました。
私は家の周りを取り囲んだ広い庭の中へと消えていく猿に興奮しながら見とれていました。
すると突然大きな声と銃声が響き、屋根の上で足音がしました。
家の外に出てみると、見覚えのある男の人がいました。家の近くのお寺に奥さんとお参りにきていた人です。
お寺での二人はまぶしいくらいの白装束に身を包んでおり、目を引かれました。
男性はこちらをじっと見つめていましたが、私はスケッチを続けました。
お寺や宿は家具や備品が心地よく、無駄なものがありません。
お寺の五つの建物は回廊によってゆるやかに結合され、庭や小さな中庭に向けて開放されています。
ひとつの視点からは、建築のつくりを認識することができませんでした。お寺はいつも新しい組み合わせの景色を生み出します。
空の部屋から、廊下から、古い、人工の庭を見渡す窓から。
一定の調子の合唱による祈りが聞こえました。このために彼らは来たようでした。お経の音は、静寂と穏やかな瞬間は、とても美しく感じられました。
そのときの男性が、この日はもう白い服を着ておらず、宿の塀の前に立っており、うれしそうにパチンコみせたのです。屋根の上の猿を撃つ彼の姿はたいへんなショックでした!
猿は少し離れた場所に座り、こちらを見つめていました。
一匹が、宿の上で騒ぎ出し、ほかの猿たちも、下のほうで 立派なたてがみを持った大きいのと、小さいのが少し距離をとってぶらついていました。
しょうがないので、私はコーヒーを入れて飲みました。
セミはそれぞれに鳴き、鳥の暗い声が響きます。
庭の松はまるで浮世絵で見たもののようでした。
実際に見てみて分かったのは、歪曲した枝と木の葉が、装飾的に絵の中を横断するよう芸術的に美しく手入れされていなくても、すでに様式的であることでした。
Friday, 17. July 2009
祇園祭
夕方には、宮崎さんと一緒に祇園祭り(神幸祭)へ行きました。
初めはまばらだった、不思議な装いをした人々は、神社へ近づくにつれ増え、私たちと同じようにお祭りに向かっているようでした。
ヨーロッパ人の目に映るこの不思議さは、極端に見える布の使い方でした。
彼らは白い布を頭にまとい―この晩目にした白はどれもまぶしく見えました―胸のはだけた、お尻までの白い短い着物を着ていました。
着物の背中には、青や黒でグループの一員であることを示すための大きな文字が描かれています。

彼らの腰には布だけが巻かれ―中世に描かれたキリストの衣装のように見えました―ほとんど臀部を露出していたり、白い半ズボンをはいたりしていました。足は膝までの白い編み上げに包まれています。
強烈で目に付く鮮やかな白、真っ黒な髪、ときには青白い、ときには黄枯茶の肌、老いも若きもすらりとした男たちの肉体はすばらしい光景でした。
美しいかぎりです。
男たちは増え続け、浴衣を着た男女の混じる、色鮮やかな人の群れの中でひかり輝く白の平面を形作っていました。
霧雨に包まれた神社に入り、初めて見る食べ物やみやげ物を広げた屋台の並ぶ通りを抜けると、警備員に囲まれた広場へとたどりつきました。
明るい緑の制服に清潔で真っ白い手袋をした彼らも印象的でした。
しばらくの間、神社を目指し、集まった白い着物をきた人々とおなじように祭りが始まるのを待ちました。
掛け声とともに、金色の巨大な棺を運ぶためのまぶしい真鍮の持ち手のついた、若々しく磨きぬかれた巨大な角材が持ち上げられます。
一本の柱に密集したそれぞれ25人の男たちは次々に、様式化された足音を踏み鳴らし、しゃがれた掛け声のスタッカートにあわせて社殿の周りを回ります。
行列の最前では、男たちがロープを引き神輿の進行方向を決め、神輿を肩に乗せた担ぎ手たちは、飛び跳ね、馬の駆け足のように神輿を上下に揺するため、担ぎ棒はいつも密集した群集に取り囲まれていました。

その光景は初め、大げさで誇張されているように見えました。
わざとらしい演技のようで、50人の男たちがまるで神輿を運ぶための奴隷を演じているようでした。
しかし、男たちが社殿の周りを数周するうちに辺りは熱気を帯び、大きな掛け声とともに、彼らはお互いに体をぶつけ合い、汗を滴らせながら、より早く、より大きく神輿をギャロップのように波打たせていました。
巨大な黄金の神輿は激しく揺れ、飛び跳ね、神秘的な聖体顕示台のように人々の頭上で音を鳴らし、屋根の上には青々とした稲の束が弾んでいました。
どの色も私には非常にクリアで鮮やかに見えました。
繰り返し拝殿の回りを練り歩く神輿、掛け声、暑さ、霧雨、大きくうねる人々の揺らぎで、全体の感覚が突然、催眠状態に陥るようでした。

ふつうなら私にとってあまり好ましい出来事ではない我を失うという状態、祭りの雰囲気のなか突然陥ってしまったあのトランスをどのように説明すればよいかわかりません。なぜなら、何が行われているか解らなかったためです。
それはそうと、祭りは厳格なルールにのっとって行われているようでした。祭りとはあのようになされるべきもので、人々にとって意味のあることなのでしょう。すべては非常に美しく見え、男のために冒険的な一面を与えるようでした(さもなければなぜ、彼らはばこの恐ろしい駆け足を始めなければならないのでしょうか?)

町を練り歩く3基の神輿と人の群れはまるでデモのようでした。しかし、それは荒っぽいものではなく、華やいだ装いで、眼への豪華なご馳走でした。
初めはまばらだった、不思議な装いをした人々は、神社へ近づくにつれ増え、私たちと同じようにお祭りに向かっているようでした。
ヨーロッパ人の目に映るこの不思議さは、極端に見える布の使い方でした。
彼らは白い布を頭にまとい―この晩目にした白はどれもまぶしく見えました―胸のはだけた、お尻までの白い短い着物を着ていました。
着物の背中には、青や黒でグループの一員であることを示すための大きな文字が描かれています。
彼らの腰には布だけが巻かれ―中世に描かれたキリストの衣装のように見えました―ほとんど臀部を露出していたり、白い半ズボンをはいたりしていました。足は膝までの白い編み上げに包まれています。
強烈で目に付く鮮やかな白、真っ黒な髪、ときには青白い、ときには黄枯茶の肌、老いも若きもすらりとした男たちの肉体はすばらしい光景でした。
美しいかぎりです。
男たちは増え続け、浴衣を着た男女の混じる、色鮮やかな人の群れの中でひかり輝く白の平面を形作っていました。
霧雨に包まれた神社に入り、初めて見る食べ物やみやげ物を広げた屋台の並ぶ通りを抜けると、警備員に囲まれた広場へとたどりつきました。
明るい緑の制服に清潔で真っ白い手袋をした彼らも印象的でした。
しばらくの間、神社を目指し、集まった白い着物をきた人々とおなじように祭りが始まるのを待ちました。
掛け声とともに、金色の巨大な棺を運ぶためのまぶしい真鍮の持ち手のついた、若々しく磨きぬかれた巨大な角材が持ち上げられます。
一本の柱に密集したそれぞれ25人の男たちは次々に、様式化された足音を踏み鳴らし、しゃがれた掛け声のスタッカートにあわせて社殿の周りを回ります。
行列の最前では、男たちがロープを引き神輿の進行方向を決め、神輿を肩に乗せた担ぎ手たちは、飛び跳ね、馬の駆け足のように神輿を上下に揺するため、担ぎ棒はいつも密集した群集に取り囲まれていました。
その光景は初め、大げさで誇張されているように見えました。
わざとらしい演技のようで、50人の男たちがまるで神輿を運ぶための奴隷を演じているようでした。
しかし、男たちが社殿の周りを数周するうちに辺りは熱気を帯び、大きな掛け声とともに、彼らはお互いに体をぶつけ合い、汗を滴らせながら、より早く、より大きく神輿をギャロップのように波打たせていました。
巨大な黄金の神輿は激しく揺れ、飛び跳ね、神秘的な聖体顕示台のように人々の頭上で音を鳴らし、屋根の上には青々とした稲の束が弾んでいました。
どの色も私には非常にクリアで鮮やかに見えました。
繰り返し拝殿の回りを練り歩く神輿、掛け声、暑さ、霧雨、大きくうねる人々の揺らぎで、全体の感覚が突然、催眠状態に陥るようでした。
ふつうなら私にとってあまり好ましい出来事ではない我を失うという状態、祭りの雰囲気のなか突然陥ってしまったあのトランスをどのように説明すればよいかわかりません。なぜなら、何が行われているか解らなかったためです。
それはそうと、祭りは厳格なルールにのっとって行われているようでした。祭りとはあのようになされるべきもので、人々にとって意味のあることなのでしょう。すべては非常に美しく見え、男のために冒険的な一面を与えるようでした(さもなければなぜ、彼らはばこの恐ろしい駆け足を始めなければならないのでしょうか?)
町を練り歩く3基の神輿と人の群れはまるでデモのようでした。しかし、それは荒っぽいものではなく、華やいだ装いで、眼への豪華なご馳走でした。
到着
京都駅にはベルント先生と宮崎さんが出迎えにきてくれました。二人は今回の滞在のサポートをしてくれます。
飛行機と電車の凍えるようなエアコンの後で、駅はまるで熱帯のような蒸し暑さでした。
再会のあいさつをすませ、地下街で、すぐに溶けていく氷のさいころの上に乗った麺〔そうめん〕を食べました。
二人といるとほっとして、故郷にいるように安心し、空の上に長い間いた後で、遅れながらも、睡眠時間が与えられたかのように、二人の間に沈んでいました。
それから3人で地下鉄を乗り継いで、京都の北にある、宿泊施設〔修学院荘〕へと向かいました。
町のはずれを霧のかかった暗緑色の森におおわれた山がとり囲み、落ち着いたコントラストが印象的なところです。
すでにハンブルクでインタビューの際にお会いしていた宮崎さんが、長いあいだ苦痛の種であった荷物を運んでくれました。
2人は私の長旅によるべたつきをシャワーで落とさせ、それから3人で冷たいお茶を飲み、今後の予定を話し合いました。
飛行機と電車の凍えるようなエアコンの後で、駅はまるで熱帯のような蒸し暑さでした。
再会のあいさつをすませ、地下街で、すぐに溶けていく氷のさいころの上に乗った麺〔そうめん〕を食べました。
二人といるとほっとして、故郷にいるように安心し、空の上に長い間いた後で、遅れながらも、睡眠時間が与えられたかのように、二人の間に沈んでいました。
それから3人で地下鉄を乗り継いで、京都の北にある、宿泊施設〔修学院荘〕へと向かいました。
町のはずれを霧のかかった暗緑色の森におおわれた山がとり囲み、落ち着いたコントラストが印象的なところです。
すでにハンブルクでインタビューの際にお会いしていた宮崎さんが、長いあいだ苦痛の種であった荷物を運んでくれました。
2人は私の長旅によるべたつきをシャワーで落とさせ、それから3人で冷たいお茶を飲み、今後の予定を話し合いました。
小旅行
伊丹空港から京都への小旅行は、ハンブルクから連れてきた疲れのせいで、非常に明瞭な夢を見ているようでした。
出発前からすでに、学期末の最後の仕事の間じゅう、目には血管が浮かんでおり、真っ赤な眼球の緑の瞳が泳ぐその目つきに多くの人たちが驚いたことでしょう。
長旅の肉体的な疲れには勝てないと初めは思いました。
しかし、発見と驚きに満ちた旅は息つく間もなく始まりました。
たくさんの荷物を抱え、蒸し暑さにすっかり参りながら、京都行きの電車を待っていると、目の前を通り過ぎていく人たちにふと気がつきました。
彼ら清掃作業員たちは プラットホームに足を踏み入れると、コンクリートの床に記された位置に付きます。
とても格好いい服装でした。
真っ白い手袋を身に付け、特大の通信機を背負い、小さなうちわを持っていました。
彼らはきれいに一列に並び、まるで機械のような動作で、列車の入り口を封鎖します。
内部では、追い出される歓迎されない物質に仕えるように、儀式のような清掃の身振りを行っていました。
彼らはきれいな叩きを使い、リズミカルに座席とその間を掃いていました。
すると私の疲れ果てた目の前で、何かが車内で突然溶解したようでした。ボタン一つでガタンと座席が進行方向に向きを変えたのです。
電車に乗っていると、車掌さんが車内に入ってきました。
入り口で慣例の会釈をし、小さな演説をしています。
切符を確認する前に、彼は帽子を脱ぎ改めて深く、礼儀正しいお辞儀をしました。
車両を後にするときも同じように頭を下げます。
電車は灰色の景色の中を走り続けました。フェンスには野生の照明器具のように、巨大な青い花が輝いていました。
出発前からすでに、学期末の最後の仕事の間じゅう、目には血管が浮かんでおり、真っ赤な眼球の緑の瞳が泳ぐその目つきに多くの人たちが驚いたことでしょう。
長旅の肉体的な疲れには勝てないと初めは思いました。
しかし、発見と驚きに満ちた旅は息つく間もなく始まりました。
たくさんの荷物を抱え、蒸し暑さにすっかり参りながら、京都行きの電車を待っていると、目の前を通り過ぎていく人たちにふと気がつきました。
彼ら清掃作業員たちは プラットホームに足を踏み入れると、コンクリートの床に記された位置に付きます。
とても格好いい服装でした。
真っ白い手袋を身に付け、特大の通信機を背負い、小さなうちわを持っていました。
彼らはきれいに一列に並び、まるで機械のような動作で、列車の入り口を封鎖します。
内部では、追い出される歓迎されない物質に仕えるように、儀式のような清掃の身振りを行っていました。
彼らはきれいな叩きを使い、リズミカルに座席とその間を掃いていました。
すると私の疲れ果てた目の前で、何かが車内で突然溶解したようでした。ボタン一つでガタンと座席が進行方向に向きを変えたのです。
電車に乗っていると、車掌さんが車内に入ってきました。
入り口で慣例の会釈をし、小さな演説をしています。
切符を確認する前に、彼は帽子を脱ぎ改めて深く、礼儀正しいお辞儀をしました。
車両を後にするときも同じように頭を下げます。
電車は灰色の景色の中を走り続けました。フェンスには野生の照明器具のように、巨大な青い花が輝いていました。
Sunday, 15. March 2009
ドイツマンガ調査旅行 7日目
2009年3月15日
ライプツィヒ4日目。ブックメッセ最終日。調査最終日。
今日のインタビューの相手は、ドイツにおける日本マンガ出版シェアNo.1のCARLSEN。最後に大物が来た!という感じです。

対応いただいたのは、広報のClaudia Jerusalem-Groenewaldさんと編集局長のKai-Steffen Schwarzさん。


CARLSEN訪問
CARLSENは、1953年設立の出版社。日本マンガの翻訳出版は、1990年代の半ばに開始したと言います。
初めての翻訳は「AKIRA」(大友克洋)。言うまでもなく、欧米における「JAPAN COOL」旋風のきっかけを作った作品です。もっとも、このときの日本マンガブームは、一部の「オタク」の熱狂だったと言われています。また、書籍の開き方も、日本の場合と反対で、左開きでした。これは、欧米の言語が左から右に流れるように記述されるからで、印刷としては、いわゆる逆版です。
初めて日本と同じように右開きで印刷したのは「DRAGONBALL」(鳥山明)。1997、8年ころのことです。この作品は、これまでで一番成功したもので、累計700万冊売れたと言います。「DRAGONBALL」は世界中で3億冊売れた、とまことしやかに語られていますが、そのうちの700万冊がドイツの読者に読まれていたことがわかりました。
「DRAGONBALL」に次ぐCARLSENのヒット作としては「ONEPIECE」(尾田栄一郎)、「NARUTO」(岸本斉史)があります。両作とも、アニメの放映が爆発的ヒットのきっかけになったそうです。「ヴァンパイア騎士」(樋野まつり)も、現在人気の作品。このブックメッセでも、CARLSEN主催で、作者の樋野先生を招いたレクチャーが開かれていました。

CARLSENでは、1967年以来、日本マンガ以外のマンガも扱っていますが、現在は、日本マンガ75%/その他のマンガ25%という内訳です。年間出版タイトル数で言えば、日本マンガ50タイトル/その他のマンガ220タイトル。
日本マンガはこれまで1600タイトルを出版しました。半分は少年向け、半分は少女向けということです。
ドイツにおける日本マンガ出版全体で言えば、CARLSENは40~45%を占めている、と分析しています。年間220タイトルの日本マンガの出版部数は、8000~10000。これは、ドイツの日本マンガ出版事業としては大きい数字と言えます。
これまでしばしば耳にしてきた「2006年が日本マンガ出版のピーク」という言説について意見を聞いてみると、CARLSENとしてはそうでもない、という答えが。うなぎのぼりの状況ではないが、現在は、ある種の安定化した状態にあるだけということでした。
翻訳する日本マンガのセレクトは、ドイツの編集部員が行っています。年に2回は日本に出向きリサーチしているとのこと。翻訳権利の買い取り交渉は、イタリア北部のボローニャ市で毎年開催されている児童書専門の国際見本市で行っているそうです。
基本的には、日本でヒットしたものはドイツでもヒットするが、ときどき良くも悪くも予想を裏切ることがあるそうです。また、「はだしのゲン」や「アドルフに告ぐ」、谷口ジロー作品など、必ずしも現在日本で大ヒット中というわけではないが、出版プログラムの開発のために、ある種実験的に出版している作品もあると言います。
翻訳出版の参照として、読者からのリクエストも参照されます。
この読者の7割は女性。今の日本マンガ読者は、「DRAGONBALL」で育った人たちです。彼ら/彼女らも年をとってきたので、BLのような新しいジャンルの出版で対応しているということです。
日本マンガ出版社としてのCARLSENの特徴のひとつは、日本マンガを紹介する月刊誌『DAISUKI』を出版していること。この手の雑誌は、ドイツには現在、この1誌しかありません。
主に10代(実際の読者は16~17歳が多い)女性向けに発行している同誌は、毎月20000~25000部の発行。6年前に始まりましたが、そのうちの75%が継続して読んでいると言います。
『DAISUKI』には、「ヴァンパイア騎士」や「フルーツバスケット」(高屋奈月)といった日本マンガと同時に、日本のポピュラーカルチャー事情なども載っています。
基本的には「日本」ということが売りになっている雑誌ですが、同時に、日本マンガスタイルで描くドイツ人作家の作品も掲載されているのが特徴です。
今回は、CARLSENの手配で、そうしたドイツ人作家のひとりであるChristina Plaka(1983年生まれ)さんにもインタビューすることができました。Christinaさんも、な、なんと、去年の8月、マンガミュージアムに遊びに来てくれていたそう!「Lingua Comica」に参加してくれたTitusやNeleを含めると、当館に来たことがある人は5人に!今回、25人くらいの人にインタビューしましたが、そのうちの5人とは、なかなかすごい数字なのではないでしょうか?
閑話休題。
以前、日本マンガに関心を持つ人は、日本文化それ自体にも関心を持つようになる傾向がある、と書きましたが、Christinaさんも、実は、大学で日本学を学ぶ学生(日本語も上手に話していました!)。2003年以来、日本にも3度ほど来たことがあり、2006年には3ヶ月ほど語学留学をしていたそうです。
Christinaさんの日本マンガへの興味は、11歳のときに始まったと言います。きっかけは、当時アニメ放映されていた「アタックNo.1」。1994年のことです。この後「DRAGONBALL」や「セーラームーン」のアニメ、そしてマンガにも浸っていくことになりますが、このバレーマンガを原作にしたアニメをみて、初めて、これまで自分が見てきたアニメの多くが日本製だったと知ったそうです。同様のことは、前日にお会いした「ANIMEXX」のAndrea Volgerさんもおっしゃっていました。
14歳には、日本マンガのスタイルでマンガを描き始めていたと言います。
Christinaさんの作品は、代表作「Yonen Buzz」などをみても、日本スタイルを完璧に消化していることがわかります。同作はしかも、日本が舞台。背景画などは、日本の雑誌やドラマからとっているそうです。
道具やスクリーントーンなどの画材も、インターネットを使って日本から取り寄せていると言うことでした。
最新号の『DAISUKI』では、新連載「HERRSCHER」が始まり(表紙に大きく載っていました)、乗りに乗っているChristinaさんですが、「将来は?」という問いには「難しい質問です」との答えが。もちろんプロマンガ家にはなりたいが、ドイツのマーケットをみると簡単ではない、ということがわかっているし、また、現在人気のある「少年愛」ものは描きたくないからです。
今回お会いした日本マンガスタイルの作家さんには、まだ学生という人も多く、日本マンガの「第一世代」の年齢層がこの辺りであることがわかります。彼ら/彼女らが卒業した数年後、ドイツのマンガ業界がどのような状況になっているか、興味深いところです。
ドイツの日本マンガマーケットの将来については、CARLSENも、楽観してはいるが、様々な開発の努力が必要だと考えているようです。Kai-Steffenさんが言うように、「新世代」のファンたちの中には、自分たちの読みたいものを自費出版する、という動きもあります。ANIMEXXに代表される「Dojinshi」は正にこうした動きを象徴するものでしょう。例えば、今後は、若い男性と、現在のマーケットよりも高い年齢向けの出版を考えなければいけないだろう、とKai-Steffenさん。
また、CARLSENでは、第2のChristinaさん誕生をサポートする一種の「教育プログラム」として、「Chibi」というシリーズも出版しています。

これは、日本マンガスタイルで描いている若手の新人作家の(主に読みきり)作品の単行本で、文字通り、普通の単行本=B6サイズよりも一回り小さなA6版。ページ数も約60ページと、普通の単行本の1/3以下。値段も1.95ユーロと、これまた1/3程度となっています。
ちなみに、「Chibi」というのはもともと、日本マンガの特徴として、海外のマンガファンに認識されているスタイルの名前で、7頭身のシリアスなキャラクターが突然2頭身になってギャグをしたりすることを指します。
2007年から始まった「Chibi」シリーズは、同様の形でヒットした絵本のシリーズをヒントにしているそうですが、日本のように、ヒットした作品が安価なコンビニ本になる、というものではなく、あくまで新人ドイツ人作家の養成が目的ということでした。
とはいうものの、これまで出された24冊の中には45000部を売ったヒット作品もあり、メッセのCARLSENのブースでも、このシリーズが大きく宣伝されていました。
今後は、作家の育成と同時に、書店の教育も必要だろう、というのが、Kai-Steffenさんの意見です。
日本マンガがこれだけ広がっていることに対する世間的な批判はあるか、という質問には、読者の親からそうした意見は聞かれないが、書店から「レベルが低い」といった声が上がっている、とのこと。書店の人たちも、毎月大量に入荷されてくる日本マンガの山に戸惑っているのでしょう。どの作品が売れていて、どういう人たちが読んでいるのか、ということを含めた教育が必要と考えているようです。
最後に、なぜドイツで日本マンガ/日本文化がこんなにも受け入れられているのか、という問いをClaudiaさんにぶつけてみました。
彼女の意見は、両親の世代と区別するための自分たちだけの新しいコミュニティを創る核となるものとして、日本マンガを選んでいるのではないか、というものでした。
これはとても納得のいく意見で、実際、新しいポピュラーカルチャーというのは、そのような形で根付いていくのだという社会学的な議論もあります。
ドイツ最後の晩餐
ブックメッセにおける、3日にわたる、日本マンガ翻訳出版社、作家へのインタビューは実に興味深いものでした。そのインタビューを、コスプレなどを楽しむファンたちが集う喧騒の中で行えたのもよかった。
また、2006年と言われている出版ピークのバブルの最中ではなく、それが少し落ち着いた現在にインタビューできたのも、冷静な当事者たちの声が聞けたという点で重要だったと思います。
今後のドイツにおける日本マンガ/文化の展開を思いながら、コスプレの格好のままの日本マンガファンたちと共に、ブックメッセの会場を後にしたのでした。
この日は、夕方にライプツィヒの街中に戻り、「世界最古の喫茶店!」(と、日本のガイドブックに書いてある)「Café Baum」でザッハトルテと味わい、1950年以降、ヨハン・セバスチャン・バッハの亡骸の眠っているトーマス教会でパイプオルガンの演奏を聞き、晩には、ゲーテが「ファウスト」の構想を練ったと言われるレストラン「Auerbachs Keller」でドイツ最後の晩を楽しんだのでした。
ライプツィヒ4日目。ブックメッセ最終日。調査最終日。
今日のインタビューの相手は、ドイツにおける日本マンガ出版シェアNo.1のCARLSEN。最後に大物が来た!という感じです。
CARLSENが配布していた翻訳日本マンガのカタログ。
対応いただいたのは、広報のClaudia Jerusalem-Groenewaldさんと編集局長のKai-Steffen Schwarzさん。
Claudia Jerusalem-Groenewaldさん
Kai-Steffen Schwarzさん
CARLSEN訪問
CARLSENは、1953年設立の出版社。日本マンガの翻訳出版は、1990年代の半ばに開始したと言います。
初めての翻訳は「AKIRA」(大友克洋)。言うまでもなく、欧米における「JAPAN COOL」旋風のきっかけを作った作品です。もっとも、このときの日本マンガブームは、一部の「オタク」の熱狂だったと言われています。また、書籍の開き方も、日本の場合と反対で、左開きでした。これは、欧米の言語が左から右に流れるように記述されるからで、印刷としては、いわゆる逆版です。
初めて日本と同じように右開きで印刷したのは「DRAGONBALL」(鳥山明)。1997、8年ころのことです。この作品は、これまでで一番成功したもので、累計700万冊売れたと言います。「DRAGONBALL」は世界中で3億冊売れた、とまことしやかに語られていますが、そのうちの700万冊がドイツの読者に読まれていたことがわかりました。
「DRAGONBALL」に次ぐCARLSENのヒット作としては「ONEPIECE」(尾田栄一郎)、「NARUTO」(岸本斉史)があります。両作とも、アニメの放映が爆発的ヒットのきっかけになったそうです。「ヴァンパイア騎士」(樋野まつり)も、現在人気の作品。このブックメッセでも、CARLSEN主催で、作者の樋野先生を招いたレクチャーが開かれていました。
CARLSENでは、1967年以来、日本マンガ以外のマンガも扱っていますが、現在は、日本マンガ75%/その他のマンガ25%という内訳です。年間出版タイトル数で言えば、日本マンガ50タイトル/その他のマンガ220タイトル。
日本マンガはこれまで1600タイトルを出版しました。半分は少年向け、半分は少女向けということです。
ドイツにおける日本マンガ出版全体で言えば、CARLSENは40~45%を占めている、と分析しています。年間220タイトルの日本マンガの出版部数は、8000~10000。これは、ドイツの日本マンガ出版事業としては大きい数字と言えます。
これまでしばしば耳にしてきた「2006年が日本マンガ出版のピーク」という言説について意見を聞いてみると、CARLSENとしてはそうでもない、という答えが。うなぎのぼりの状況ではないが、現在は、ある種の安定化した状態にあるだけということでした。
翻訳する日本マンガのセレクトは、ドイツの編集部員が行っています。年に2回は日本に出向きリサーチしているとのこと。翻訳権利の買い取り交渉は、イタリア北部のボローニャ市で毎年開催されている児童書専門の国際見本市で行っているそうです。
基本的には、日本でヒットしたものはドイツでもヒットするが、ときどき良くも悪くも予想を裏切ることがあるそうです。また、「はだしのゲン」や「アドルフに告ぐ」、谷口ジロー作品など、必ずしも現在日本で大ヒット中というわけではないが、出版プログラムの開発のために、ある種実験的に出版している作品もあると言います。
翻訳出版の参照として、読者からのリクエストも参照されます。
この読者の7割は女性。今の日本マンガ読者は、「DRAGONBALL」で育った人たちです。彼ら/彼女らも年をとってきたので、BLのような新しいジャンルの出版で対応しているということです。
日本マンガ出版社としてのCARLSENの特徴のひとつは、日本マンガを紹介する月刊誌『DAISUKI』を出版していること。この手の雑誌は、ドイツには現在、この1誌しかありません。
主に10代(実際の読者は16~17歳が多い)女性向けに発行している同誌は、毎月20000~25000部の発行。6年前に始まりましたが、そのうちの75%が継続して読んでいると言います。
『DAISUKI』には、「ヴァンパイア騎士」や「フルーツバスケット」(高屋奈月)といった日本マンガと同時に、日本のポピュラーカルチャー事情なども載っています。
基本的には「日本」ということが売りになっている雑誌ですが、同時に、日本マンガスタイルで描くドイツ人作家の作品も掲載されているのが特徴です。
今回は、CARLSENの手配で、そうしたドイツ人作家のひとりであるChristina Plaka(1983年生まれ)さんにもインタビューすることができました。Christinaさんも、な、なんと、去年の8月、マンガミュージアムに遊びに来てくれていたそう!「Lingua Comica」に参加してくれたTitusやNeleを含めると、当館に来たことがある人は5人に!今回、25人くらいの人にインタビューしましたが、そのうちの5人とは、なかなかすごい数字なのではないでしょうか?
閑話休題。
以前、日本マンガに関心を持つ人は、日本文化それ自体にも関心を持つようになる傾向がある、と書きましたが、Christinaさんも、実は、大学で日本学を学ぶ学生(日本語も上手に話していました!)。2003年以来、日本にも3度ほど来たことがあり、2006年には3ヶ月ほど語学留学をしていたそうです。
Christinaさんの日本マンガへの興味は、11歳のときに始まったと言います。きっかけは、当時アニメ放映されていた「アタックNo.1」。1994年のことです。この後「DRAGONBALL」や「セーラームーン」のアニメ、そしてマンガにも浸っていくことになりますが、このバレーマンガを原作にしたアニメをみて、初めて、これまで自分が見てきたアニメの多くが日本製だったと知ったそうです。同様のことは、前日にお会いした「ANIMEXX」のAndrea Volgerさんもおっしゃっていました。
14歳には、日本マンガのスタイルでマンガを描き始めていたと言います。
Christinaさんの作品は、代表作「Yonen Buzz」などをみても、日本スタイルを完璧に消化していることがわかります。同作はしかも、日本が舞台。背景画などは、日本の雑誌やドラマからとっているそうです。
道具やスクリーントーンなどの画材も、インターネットを使って日本から取り寄せていると言うことでした。
最新号の『DAISUKI』では、新連載「HERRSCHER」が始まり(表紙に大きく載っていました)、乗りに乗っているChristinaさんですが、「将来は?」という問いには「難しい質問です」との答えが。もちろんプロマンガ家にはなりたいが、ドイツのマーケットをみると簡単ではない、ということがわかっているし、また、現在人気のある「少年愛」ものは描きたくないからです。
今回お会いした日本マンガスタイルの作家さんには、まだ学生という人も多く、日本マンガの「第一世代」の年齢層がこの辺りであることがわかります。彼ら/彼女らが卒業した数年後、ドイツのマンガ業界がどのような状況になっているか、興味深いところです。
ドイツの日本マンガマーケットの将来については、CARLSENも、楽観してはいるが、様々な開発の努力が必要だと考えているようです。Kai-Steffenさんが言うように、「新世代」のファンたちの中には、自分たちの読みたいものを自費出版する、という動きもあります。ANIMEXXに代表される「Dojinshi」は正にこうした動きを象徴するものでしょう。例えば、今後は、若い男性と、現在のマーケットよりも高い年齢向けの出版を考えなければいけないだろう、とKai-Steffenさん。
また、CARLSENでは、第2のChristinaさん誕生をサポートする一種の「教育プログラム」として、「Chibi」というシリーズも出版しています。
上が「Chibi」シリーズ。下の通常の単行本に比べてひとまわり小さい。
これは、日本マンガスタイルで描いている若手の新人作家の(主に読みきり)作品の単行本で、文字通り、普通の単行本=B6サイズよりも一回り小さなA6版。ページ数も約60ページと、普通の単行本の1/3以下。値段も1.95ユーロと、これまた1/3程度となっています。
ちなみに、「Chibi」というのはもともと、日本マンガの特徴として、海外のマンガファンに認識されているスタイルの名前で、7頭身のシリアスなキャラクターが突然2頭身になってギャグをしたりすることを指します。
2007年から始まった「Chibi」シリーズは、同様の形でヒットした絵本のシリーズをヒントにしているそうですが、日本のように、ヒットした作品が安価なコンビニ本になる、というものではなく、あくまで新人ドイツ人作家の養成が目的ということでした。
とはいうものの、これまで出された24冊の中には45000部を売ったヒット作品もあり、メッセのCARLSENのブースでも、このシリーズが大きく宣伝されていました。
今後は、作家の育成と同時に、書店の教育も必要だろう、というのが、Kai-Steffenさんの意見です。
日本マンガがこれだけ広がっていることに対する世間的な批判はあるか、という質問には、読者の親からそうした意見は聞かれないが、書店から「レベルが低い」といった声が上がっている、とのこと。書店の人たちも、毎月大量に入荷されてくる日本マンガの山に戸惑っているのでしょう。どの作品が売れていて、どういう人たちが読んでいるのか、ということを含めた教育が必要と考えているようです。
最後に、なぜドイツで日本マンガ/日本文化がこんなにも受け入れられているのか、という問いをClaudiaさんにぶつけてみました。
彼女の意見は、両親の世代と区別するための自分たちだけの新しいコミュニティを創る核となるものとして、日本マンガを選んでいるのではないか、というものでした。
これはとても納得のいく意見で、実際、新しいポピュラーカルチャーというのは、そのような形で根付いていくのだという社会学的な議論もあります。
ドイツ最後の晩餐
ブックメッセにおける、3日にわたる、日本マンガ翻訳出版社、作家へのインタビューは実に興味深いものでした。そのインタビューを、コスプレなどを楽しむファンたちが集う喧騒の中で行えたのもよかった。
また、2006年と言われている出版ピークのバブルの最中ではなく、それが少し落ち着いた現在にインタビューできたのも、冷静な当事者たちの声が聞けたという点で重要だったと思います。
今後のドイツにおける日本マンガ/文化の展開を思いながら、コスプレの格好のままの日本マンガファンたちと共に、ブックメッセの会場を後にしたのでした。
この日は、夕方にライプツィヒの街中に戻り、「世界最古の喫茶店!」(と、日本のガイドブックに書いてある)「Café Baum」でザッハトルテと味わい、1950年以降、ヨハン・セバスチャン・バッハの亡骸の眠っているトーマス教会でパイプオルガンの演奏を聞き、晩には、ゲーテが「ファウスト」の構想を練ったと言われるレストラン「Auerbachs Keller」でドイツ最後の晩を楽しんだのでした。
Saturday, 14. March 2009
ドイツマンガ調査旅行 6日目
ライプツィヒ3日目。
この日も、朝10時のオープン時からブックメッセ会場に。土曜日ということもあり、入場者数も4日間のうちで最も多いだろう、と、通訳のバウアーさん。

特に、マンガ・コーナーのある「ホール2」の、オープン前の扉付近には、ものすごい数のコスプレイヤーが!人気キャラは「NARUTO」「BLEACH」辺りか。「涼宮ハルヒ」シリーズや「テニスの王子様」などのキャラもいて、マンガミュージアムでも月に一度コスプレ交流会をしていますが、そこで見かけるキャラクターとほとんど変わりません。

ただ、日本と違って、彼らは着替えを自宅で済ませてくるので、行き帰りの電車などでもそのままの格好で歩いている姿を見かけることができるのでした。伝統的な建物の並ぶドイツの風景の中に、日本のマンガキャラクターが歩いているのを見るのは、実にフシギな気分でした。
後に登場していただくANIMEXXのAndreas Voglerさんによると、衣装はかならず自分で作り、自分自身がコスプレし、参加すること自体に重要さを感じている、とのこと。あくまで主体性を重んじる姿勢は、自分自身の表現、スタイルを追及するドイツのマンガ家たちの姿勢に通ずるものを感じました。
さて。
今日は、日本マンガファンのドイツ代表と言える団体ANIMEXXと、ドイツ三大日本マンガ出版社のひとつであるEGMONTを取材しました。
ANIMEXX訪問
まずはANIMEXXです。対応してくれたのは、Andreas Vogler(1973年生まれ)さん。何と、Andreasさんも2年前にマンガミュージアムに遊びに来たことがあるとのこと!うれしいなぁ…

まずは、このAndreasさんに、ANIMEXXの歴史についてお聞きしました。
いまや、マンガ・アニメを中心とする日本ポップカルチャーファンのための、ドイツ最大の団体となったANIMEXXですが、もともとは、「Animangai」というグループと、「セーラームーン」のファングループが合体して、2000年にたった7人で始まった小さなファンサークルでした。
ちなみに、Andreasはこの7人のうちのひとり。さしずめドイツオタク界の「七聖」といったところか。「キャプテン・フューチャー」「ハイジ」「アタックNo.1」といった日本アニメを観て育ち、「セーラームーン」との出会いで、自分を日本マンガ・アニメのファンとしてはっきり意識化したと言います。ちなみに、ドイツにおける「セーラームーン」のファンには男性も多かったそうです。
こうした団体としては組織化の早かったANIMEXXは、ウェブサイトを通して、みるみる大きくなっていきました。
活動としては、以下のようなことが挙げられます。
(1) 日本マンガ・アニメを中心とした、ジャパニーズポップカルチャーファンのためのウェブサイト運営
(2) コスプレ交流会などのイベント主催
(3) Dojinshiの出版
ウェブサイトの会員は、130000人!
数もすごいけれど、その組織力を感じさせるエピソードをひとつしましょう。コスプレ大会の様子は、日本と同様、毎回多くの人によって、写真がブログなどにアップされますが、ANIMEXXでは、なんと、毎年、アップされた写真を総勢200人でチェックするのだそうです!ちなみに、ヒット数は、4~10万と言います。
会員の多くは女性で、平均年齢は、19.5歳ということです。
コスプレ交流会などのイベントは、いわば、彼らウェブ会員の“オフ会”としても機能していることでしょう。
ただ、ANIMEXXは、ドイツで「e.V.」と呼ばれる、国に登録された非営利団体。コスプレイベントなども、営利目的では行っておらず、実際の運営は委託して、自分たちは指示だけ出している、ということでした。
関わっているイベントしては、例えば、カッセルで開催される「connichi」(毎年9月に開催)といった日本文化フェスティバルなどがあります。今年の4月18日、19日には、ミュンヘンの会員が中心になって行われる日本文化フェスティバル「aniMUC」の第1回目が行われるそうです。
出版については、ANIMEXXが出版している『Manga-Mixx』という冊子について、インタビューに途中から参加してくれた、Wolfgang Schütteさんにお聞きしました。

これは、ドイツ人の日本マンガファンによる日本マンガスタイルの作品を載せた作品集で、自分たちで「Dojinshi」=同人誌に類するものだと言っています。『Manga-Mixx』の中表紙には、この「Dojinshi」の定義が載っていて、そこには、日本における自分自身で書いたファンによるマンガ作品、と書かれてあります。
同人誌と言っても、日本のような二次創作やポルノはほとんどないということでした。
2006年に第1号が出されて以来、現在では、7冊が発行されています。1冊あたりの発行部数は2500。駅中の書店、「connichi」や今回のようなブックメッセなどのイベント会場で売られます。
各号10~15人くらいの作家は基本的には毎回変わりますが、そのセレクトは、Schütteさんと、プロのマンガ家によって行われるそうです。作家=読者は、ほとんど女性ばかり。かつて、EGMONTから、ドイツ・コミックの形式で出版したことがあったが、3人の作品しか載せられなかったので、結局自分たちで出版することにしたと言います。この「同人誌」システムは、2006年に日本の「コミック・マーケット」などを視察しながら、自分たちで学んでいったそうです。
先に、日本マンガ出版社からしばしば聞かれた「日本マンガブームはピークを過ぎた」という話について、聞いてみました。
確かに、出版数は落ちているようだけど(ただし、やおい系は別)、ANIMEXXの会員数=日本マンガ・アニメのファンはまだまだ増え続けていると、Schütteさん。
コスプレイヤーになる人も、増えているようです。「connichi」だけをみても、このイベント参加者全体(3日で15000人)の5割だったコスプレイヤーは、いまや7割だそうです。
それでは、どうしてここまで日本マンガがドイツでブームを起こしえたのでしょうか?
4つの理由があるだろう、とAndreaさんは考えます。
(1) 日本マンガが流入した頃、ドイツで伝統的に読まれていたコミック(例えば「ASTERIX」やディズニーもの)が一種の行き詰まりを感じさせていたから
(2) 日本マンガは早く読めるから
(3) テキストの多いドイツ・コミックに比べ、日本マンガは絵だけを見ていてもわかるから
(4) 一種のエキゾティズムを感じさせるから
最後に、Andreaさんに、ANIMEXXの今後の展開についてお聞きした。
ひとつは、Dojinshi作品のケータイ配信を考えているということです。実は既にそのシステムも整えたそう。
それから、日独の同人誌交換のプロジェクトができないか、と考えているそうです。
どちらも、人と人をつなげるメディアを作ってきたAndreaさんらしいアイデアだと思いました。その展開に注目したいところです。
EGMONT訪問
午後からは、出版社EGMONTの取材。
対応してくれたのは、広報室のThea Schellakowskyさんと、マンガ家のAlexandra Völkerさん。

EGMONTは、いくつかのグループに分かれている大きな出版社で、マンガに関して言えば、
(1) EGMONT MANGA ANIME=EMA
(2) ehapa COMIC COLLECTION=ECC
(3) EGMONT ehapa
の3つのグループがあります。(1)は日本マンガあるいは日本スタイルのマンガ、(2)は「ASTERIX」のような作品のハードカバーなど、(3)はポケットサイズの『Mickey Mouse』などを、それぞれ担当しています。
ライプツィヒのブックメッセには、2002年から日本マンガを出品しているそうです。
ドイツにおける日本マンガ出版の30%をEGMONTが占めていると考えています。
また、EGMONTの全出版事業における日本マンガ出版の占める割合は30%だそうです。
日本マンガの1タイトルあたりの出版部数は7000部。これは、2006年のピーク時における20000部という数字に比べると大幅減に思われます。原因はしかし、日本マンガ文化が飽きられたというよりも、当時が過剰供給であった、というのはTheaさんの意見です。書店からも、置く場所がない!と文句を言われたそうです。
ピーク前には毎月25タイトル出していた新刊も、現在は15タイトルに押さえられましたが、これは言わば、落ち着いた状況だと考えているようです。
翻訳される日本マンガは、提携している講談社、集英社に出向き、その時点で日本で流行っている作品を教えてもらい、検討後、選んでいると言います。
ただ、日本で流行っているからと言って、ドイツでも受けるとは限りません。「NANA」や「ご近所物語」も、日本でほどはヒットしなかったそうです。(まぁ、もともとメガヒットの作品ですから、それでも当然人気はあるみたいですが)これまで、800タイトルの作品を買い付けました。
これらの日本マンガを読んでいる読者は、女性70%、男性30%。14~19歳くらいの層が中心です。かつては、10~14歳がその読者でしたが、彼ら/彼女らが、そのまま大きくなっても読んでいると言うわけです。これは、言い換えると、若い読者が育っていない、ということでもあります。
EGMONTでは、日本マンガを翻訳出版する一方で、日本スタイルで描くドイツ人マンガ家も育てています。
そのひとりが、Alexandra Völkerさん。Theaさん曰く「当社No.1の作家」だそうです。
2004年に行われたEGMONT主催のマンガ・コンペに参加したのがきっかけで、同社に関わっているそうですが、作家としては基本的には独立しています。
これまで、3作品4冊の本をEGMONTから出版しています。いずれも描き下ろしで、1冊約190ページを半年という期間に描いてきました。読者としては、14歳の女性を意識しているそうです。それぞれ5000~10000部と言いますから、Theaさんが言うように、人気作家なのでしょう。彼女のような日本マンガスタイルのドイツ人作家のほとんどは、1冊だけ描いて消えていくというのが現実のようです。
もちろん、Alexandraさん自身、日本マンガ・アニメの大ファン。昔はコスプレもしていたと言います。8歳くらいでアニメ「セーラームーン」に出会い、少なくとも4年間はこの作品に入れ込んでいました。好きなマンガは?という質問には、「XXX HOLiC」(CLAMP)、「ツバサ RESERVoir CHRoNiCLE」(CLAMP)、「NANA」(矢沢あい)、「ご近所物語」(矢沢あい)という答えが。
一方、「グラフィック・ノベルは読む?」という質問にはキョトン。そもそも「グラフィック・ノベル」ということば自体を知らないようでした。「ASTERIX」といったフランスのバンド・デシネや「Mickey Mouse」などもときどきは読むとのこと。
ドイツ人作家による日本マンガスタイルの作品も読みます。お気に入りは「少年愛」ものの「Musouka」(Diana Liesaus)だそうです。
日本アニメを入り口に日本マンガにはまったAlexandraさんは、いま日本文化全体にも関心を持っているそう。これは、このブックメッセに集まったコスプレイヤーも含め、海外の日本マンガファン全体に言える傾向だと言えます。
現在、ケルン大学で、レイアウト・マーケティング・デザインを学んでいる学生でもあるAlexandraさん。将来はどのように考えているのでしょう?
現在のように、年2冊のペースで単行本を描き下ろした上で、ワークショップやサイン会などを行えば職業として成り立つ、とのことでした。ワークショップでは、書店などでマンガの描き方を教えると同時に、マンガやアニメなどについての講義もしているそうです。
ただ、これはあくまで「人気作家」だから可能なこと。

Theaさんによれば、今後、ドイツ人による日本スタイルのマンガは、日本マンガ自体ほどは伸びないだろうということでした。ドイツの日本マンガファンが求めているのは「本物の」、つまり日本人が描いたマンガだからだそうです。
このことについては、Alexandraさん自身も意識しています。自分は「日本人ではないので」、例えば舞台をドイツやフランスを舞台にしたり、といったアレンジは意識的にしているとのこと。また、日本とドイツのスタイルのミックスも試みているそうです。
出版社としても、興味深い試みを始めています。
Alexandraさんの作品をオーディオ化した「マンガ・オーディオCD」(日本で言うドラマCDでしょうか)の制作です。2007年に発売されたこのCDは、マンガとしては初の試みでしたが、1万枚をプレスしました。

もっとも、ドイツには小説などを音にするという伝統があり、ブックメッセでも、新作CDが多く売られていました。メッセではまた、小説に限らず、エッセイや評論も含め、作者が自著を朗読する、というイベントがあちこちで開催されていて、多くの人が聞き入っていました。そういえば、会場以外のライプツィヒのパブ、レストランでもこうした朗読会が開催されていて、老若男女が耳を傾けていたのでした。これは日本ではほとんどみられない風景で、興味深く思ったのでした。
この日も、朝10時のオープン時からブックメッセ会場に。土曜日ということもあり、入場者数も4日間のうちで最も多いだろう、と、通訳のバウアーさん。
特に、マンガ・コーナーのある「ホール2」の、オープン前の扉付近には、ものすごい数のコスプレイヤーが!人気キャラは「NARUTO」「BLEACH」辺りか。「涼宮ハルヒ」シリーズや「テニスの王子様」などのキャラもいて、マンガミュージアムでも月に一度コスプレ交流会をしていますが、そこで見かけるキャラクターとほとんど変わりません。
「NARUTO」のキャラに扮するファン。
ただ、日本と違って、彼らは着替えを自宅で済ませてくるので、行き帰りの電車などでもそのままの格好で歩いている姿を見かけることができるのでした。伝統的な建物の並ぶドイツの風景の中に、日本のマンガキャラクターが歩いているのを見るのは、実にフシギな気分でした。
後に登場していただくANIMEXXのAndreas Voglerさんによると、衣装はかならず自分で作り、自分自身がコスプレし、参加すること自体に重要さを感じている、とのこと。あくまで主体性を重んじる姿勢は、自分自身の表現、スタイルを追及するドイツのマンガ家たちの姿勢に通ずるものを感じました。
さて。
今日は、日本マンガファンのドイツ代表と言える団体ANIMEXXと、ドイツ三大日本マンガ出版社のひとつであるEGMONTを取材しました。
ANIMEXX訪問
まずはANIMEXXです。対応してくれたのは、Andreas Vogler(1973年生まれ)さん。何と、Andreasさんも2年前にマンガミュージアムに遊びに来たことがあるとのこと!うれしいなぁ…
右はWolfgangさん、左がAndreasさん。
まずは、このAndreasさんに、ANIMEXXの歴史についてお聞きしました。
いまや、マンガ・アニメを中心とする日本ポップカルチャーファンのための、ドイツ最大の団体となったANIMEXXですが、もともとは、「Animangai」というグループと、「セーラームーン」のファングループが合体して、2000年にたった7人で始まった小さなファンサークルでした。
ちなみに、Andreasはこの7人のうちのひとり。さしずめドイツオタク界の「七聖」といったところか。「キャプテン・フューチャー」「ハイジ」「アタックNo.1」といった日本アニメを観て育ち、「セーラームーン」との出会いで、自分を日本マンガ・アニメのファンとしてはっきり意識化したと言います。ちなみに、ドイツにおける「セーラームーン」のファンには男性も多かったそうです。
こうした団体としては組織化の早かったANIMEXXは、ウェブサイトを通して、みるみる大きくなっていきました。
活動としては、以下のようなことが挙げられます。
(1) 日本マンガ・アニメを中心とした、ジャパニーズポップカルチャーファンのためのウェブサイト運営
(2) コスプレ交流会などのイベント主催
(3) Dojinshiの出版
ウェブサイトの会員は、130000人!
数もすごいけれど、その組織力を感じさせるエピソードをひとつしましょう。コスプレ大会の様子は、日本と同様、毎回多くの人によって、写真がブログなどにアップされますが、ANIMEXXでは、なんと、毎年、アップされた写真を総勢200人でチェックするのだそうです!ちなみに、ヒット数は、4~10万と言います。
会員の多くは女性で、平均年齢は、19.5歳ということです。
コスプレ交流会などのイベントは、いわば、彼らウェブ会員の“オフ会”としても機能していることでしょう。
ただ、ANIMEXXは、ドイツで「e.V.」と呼ばれる、国に登録された非営利団体。コスプレイベントなども、営利目的では行っておらず、実際の運営は委託して、自分たちは指示だけ出している、ということでした。
関わっているイベントしては、例えば、カッセルで開催される「connichi」(毎年9月に開催)といった日本文化フェスティバルなどがあります。今年の4月18日、19日には、ミュンヘンの会員が中心になって行われる日本文化フェスティバル「aniMUC」の第1回目が行われるそうです。
出版については、ANIMEXXが出版している『Manga-Mixx』という冊子について、インタビューに途中から参加してくれた、Wolfgang Schütteさんにお聞きしました。
『Manga-Mixx』の販売コーナー。ファンたちによるイラストがみえるが、ほとんどすべてが、日本マンガのスタイルで書かれている。
これは、ドイツ人の日本マンガファンによる日本マンガスタイルの作品を載せた作品集で、自分たちで「Dojinshi」=同人誌に類するものだと言っています。『Manga-Mixx』の中表紙には、この「Dojinshi」の定義が載っていて、そこには、日本における自分自身で書いたファンによるマンガ作品、と書かれてあります。
同人誌と言っても、日本のような二次創作やポルノはほとんどないということでした。
2006年に第1号が出されて以来、現在では、7冊が発行されています。1冊あたりの発行部数は2500。駅中の書店、「connichi」や今回のようなブックメッセなどのイベント会場で売られます。
各号10~15人くらいの作家は基本的には毎回変わりますが、そのセレクトは、Schütteさんと、プロのマンガ家によって行われるそうです。作家=読者は、ほとんど女性ばかり。かつて、EGMONTから、ドイツ・コミックの形式で出版したことがあったが、3人の作品しか載せられなかったので、結局自分たちで出版することにしたと言います。この「同人誌」システムは、2006年に日本の「コミック・マーケット」などを視察しながら、自分たちで学んでいったそうです。
先に、日本マンガ出版社からしばしば聞かれた「日本マンガブームはピークを過ぎた」という話について、聞いてみました。
確かに、出版数は落ちているようだけど(ただし、やおい系は別)、ANIMEXXの会員数=日本マンガ・アニメのファンはまだまだ増え続けていると、Schütteさん。
コスプレイヤーになる人も、増えているようです。「connichi」だけをみても、このイベント参加者全体(3日で15000人)の5割だったコスプレイヤーは、いまや7割だそうです。
それでは、どうしてここまで日本マンガがドイツでブームを起こしえたのでしょうか?
4つの理由があるだろう、とAndreaさんは考えます。
(1) 日本マンガが流入した頃、ドイツで伝統的に読まれていたコミック(例えば「ASTERIX」やディズニーもの)が一種の行き詰まりを感じさせていたから
(2) 日本マンガは早く読めるから
(3) テキストの多いドイツ・コミックに比べ、日本マンガは絵だけを見ていてもわかるから
(4) 一種のエキゾティズムを感じさせるから
最後に、Andreaさんに、ANIMEXXの今後の展開についてお聞きした。
ひとつは、Dojinshi作品のケータイ配信を考えているということです。実は既にそのシステムも整えたそう。
それから、日独の同人誌交換のプロジェクトができないか、と考えているそうです。
どちらも、人と人をつなげるメディアを作ってきたAndreaさんらしいアイデアだと思いました。その展開に注目したいところです。
EGMONT訪問
午後からは、出版社EGMONTの取材。
対応してくれたのは、広報室のThea Schellakowskyさんと、マンガ家のAlexandra Völkerさん。
右がAlexandraさん、左がTheaさん。
EGMONTは、いくつかのグループに分かれている大きな出版社で、マンガに関して言えば、
(1) EGMONT MANGA ANIME=EMA
(2) ehapa COMIC COLLECTION=ECC
(3) EGMONT ehapa
の3つのグループがあります。(1)は日本マンガあるいは日本スタイルのマンガ、(2)は「ASTERIX」のような作品のハードカバーなど、(3)はポケットサイズの『Mickey Mouse』などを、それぞれ担当しています。
ライプツィヒのブックメッセには、2002年から日本マンガを出品しているそうです。
ドイツにおける日本マンガ出版の30%をEGMONTが占めていると考えています。
また、EGMONTの全出版事業における日本マンガ出版の占める割合は30%だそうです。
日本マンガの1タイトルあたりの出版部数は7000部。これは、2006年のピーク時における20000部という数字に比べると大幅減に思われます。原因はしかし、日本マンガ文化が飽きられたというよりも、当時が過剰供給であった、というのはTheaさんの意見です。書店からも、置く場所がない!と文句を言われたそうです。
ピーク前には毎月25タイトル出していた新刊も、現在は15タイトルに押さえられましたが、これは言わば、落ち着いた状況だと考えているようです。
翻訳される日本マンガは、提携している講談社、集英社に出向き、その時点で日本で流行っている作品を教えてもらい、検討後、選んでいると言います。
ただ、日本で流行っているからと言って、ドイツでも受けるとは限りません。「NANA」や「ご近所物語」も、日本でほどはヒットしなかったそうです。(まぁ、もともとメガヒットの作品ですから、それでも当然人気はあるみたいですが)これまで、800タイトルの作品を買い付けました。
これらの日本マンガを読んでいる読者は、女性70%、男性30%。14~19歳くらいの層が中心です。かつては、10~14歳がその読者でしたが、彼ら/彼女らが、そのまま大きくなっても読んでいると言うわけです。これは、言い換えると、若い読者が育っていない、ということでもあります。
EGMONTでは、日本マンガを翻訳出版する一方で、日本スタイルで描くドイツ人マンガ家も育てています。
そのひとりが、Alexandra Völkerさん。Theaさん曰く「当社No.1の作家」だそうです。
2004年に行われたEGMONT主催のマンガ・コンペに参加したのがきっかけで、同社に関わっているそうですが、作家としては基本的には独立しています。
これまで、3作品4冊の本をEGMONTから出版しています。いずれも描き下ろしで、1冊約190ページを半年という期間に描いてきました。読者としては、14歳の女性を意識しているそうです。それぞれ5000~10000部と言いますから、Theaさんが言うように、人気作家なのでしょう。彼女のような日本マンガスタイルのドイツ人作家のほとんどは、1冊だけ描いて消えていくというのが現実のようです。
もちろん、Alexandraさん自身、日本マンガ・アニメの大ファン。昔はコスプレもしていたと言います。8歳くらいでアニメ「セーラームーン」に出会い、少なくとも4年間はこの作品に入れ込んでいました。好きなマンガは?という質問には、「XXX HOLiC」(CLAMP)、「ツバサ RESERVoir CHRoNiCLE」(CLAMP)、「NANA」(矢沢あい)、「ご近所物語」(矢沢あい)という答えが。
一方、「グラフィック・ノベルは読む?」という質問にはキョトン。そもそも「グラフィック・ノベル」ということば自体を知らないようでした。「ASTERIX」といったフランスのバンド・デシネや「Mickey Mouse」などもときどきは読むとのこと。
ドイツ人作家による日本マンガスタイルの作品も読みます。お気に入りは「少年愛」ものの「Musouka」(Diana Liesaus)だそうです。
日本アニメを入り口に日本マンガにはまったAlexandraさんは、いま日本文化全体にも関心を持っているそう。これは、このブックメッセに集まったコスプレイヤーも含め、海外の日本マンガファン全体に言える傾向だと言えます。
現在、ケルン大学で、レイアウト・マーケティング・デザインを学んでいる学生でもあるAlexandraさん。将来はどのように考えているのでしょう?
現在のように、年2冊のペースで単行本を描き下ろした上で、ワークショップやサイン会などを行えば職業として成り立つ、とのことでした。ワークショップでは、書店などでマンガの描き方を教えると同時に、マンガやアニメなどについての講義もしているそうです。
ただ、これはあくまで「人気作家」だから可能なこと。
EGMONTの販売ブースでサイン会を行うAlexandraさん。
Theaさんによれば、今後、ドイツ人による日本スタイルのマンガは、日本マンガ自体ほどは伸びないだろうということでした。ドイツの日本マンガファンが求めているのは「本物の」、つまり日本人が描いたマンガだからだそうです。
このことについては、Alexandraさん自身も意識しています。自分は「日本人ではないので」、例えば舞台をドイツやフランスを舞台にしたり、といったアレンジは意識的にしているとのこと。また、日本とドイツのスタイルのミックスも試みているそうです。
出版社としても、興味深い試みを始めています。
Alexandraさんの作品をオーディオ化した「マンガ・オーディオCD」(日本で言うドラマCDでしょうか)の制作です。2007年に発売されたこのCDは、マンガとしては初の試みでしたが、1万枚をプレスしました。
Alexandraさんの作品。右が「マンガ・オーディオCD」
もっとも、ドイツには小説などを音にするという伝統があり、ブックメッセでも、新作CDが多く売られていました。メッセではまた、小説に限らず、エッセイや評論も含め、作者が自著を朗読する、というイベントがあちこちで開催されていて、多くの人が聞き入っていました。そういえば、会場以外のライプツィヒのパブ、レストランでもこうした朗読会が開催されていて、老若男女が耳を傾けていたのでした。これは日本ではほとんどみられない風景で、興味深く思ったのでした。
ブックメッセ会場でサインをしていたBerlin ComixのReinhardさんに再会。
Friday, 13. March 2009
ドイツマンガ調査旅行 5日目
ライプツィヒ2日目。
ベルリンでは正常に動いていた電波時計が、なぜかちょうど1時間遅れるというなぞの状態になっていたため、あわてて支度をしてなんとか遅れずに済んだけど、睡眠時間は、今日も2時間くらい。
ベルリンでは主に、いわゆる「グラフィック・ノベル」とか「オルタナティブ・コミック」などと呼ばれるドイツ原産のマンガについて調査してきました。
一方、ここライプツィヒでは、13日~15日の3日間開催される「ライプツィヒ・ブックメッセ」という本の見本市に出展している、日本マンガ(スタイル)の翻訳出版社の各担当者にインタビューしていきます。
ライプツィヒのブックメッセは、フランクフルトのそれと並ぶ2大ブックメッセ。毎年10万人以上の人が集うビッグイベントです。基本的には本の見本市ですから、各出版社が、5つの大きなホールにそれぞれブースを設けて、そこで新刊を販売したり、イベントをしたりします。フランクフルトが、どっちかと言えば業者向けであるのに対し、ライプツィヒのメッセは、最初から一般の人にオープンにしているのが特徴。修学旅行生や親子連れなど、若い人たちもかなり多くて、さすが本の国!と驚きました。
この伝統的な本の世界にマンガ・コーナーができたのは最近のこと(写真)。8年前にはマンガ出版社の出店はありませんでした。
そこでは、もちろんドイツ原産のコミックや、アメコミ、フランスのバンド・デシネなども紹介されますが、多くは日本のマンガ。実際、ドイツのマンガ市場は、65%が翻訳日本マンガで、35%がその他のマンガと言われています。

そして、会場では、この日本マンガに付随する日本文化――アニメやゲームや玩具はもちろん、ファッションや食事、囲碁(写真)や漢字までが、売られたり紹介されたりします。


現在では、このマンガ・コーナーは、コスプレ大会などを行うイベント会場や、日本文化紹介コーナーなどを含めて、メッセを構成する5つのホールのうちのひとつの約1/3を占めるまでの大きさになっています。ぼく自身他のコーナーを見てきましたが、その混み具合なども含め、最も盛り上がっていたのが、このマンガ・コーナーと言っても過言ではありません。実際、会場では常に、バンドなどの演奏や、そうでなければアニメ上映会から流れる効果音やBGMが流れていて、そこに、身動きできないくらいの数の人々の話声がかぶさり、会場はかなり騒然としていました。
TOKYO POP訪問
さて。
ドイツにおける日本マンガの翻訳出版は、CARLSEN、TOKYOPOP、EGMONTの3社のほぼ独占状態と言われています。後出TOKYOPOPのJoachim Kaps氏によると、CARLSEN45%、TOKYOPOPとEGMONTがそれぞれ25%、その他5%ということでした。
今回は、この大手3社に加えて、SCHWARZER TURMとPANINIの5社の各担当者にインタビューできることになりました。
(ちなみに、ライプツィヒのメッセに、日本のマンガ出版社は出店していません。ドイツ文化センターのマンケさんによると、フランクフルトにもあるマンガ・コーナーの規模はライプツィヒと同じくらいだが、日本の出版社も出店しているとのことです)
まずは、3巨頭のうちのひとつTOKYOPOPを取材。対応していただいたのは、マネージング・ディレクターの
Joachim Kapsさん。Joachimさんは、2003年までCARLSENで翻訳日本マンガ雑誌『BANZAI』に関わっていた人で、TOKYO POPが2004年にCARLSENから独立する際の立役者です。
TOKYOPOPではこの4年間で150シリーズ、400タイトルの翻訳日本マンガを出版してきました。現在は毎月20タイトルを出しています。うまくいったときは、1タイトルで30000~35000部を出版することもあるそうです。
これまで一番売れたシリーズは、種村有菜「紳士同盟」。少女向けマンガです。(フランスでは売れなかったそう)その他、「DEATH NOTE」や「BLEACH」がドル箱ということでした。やはり、「ONE PIECE」や「DRAGONBALL」など、テレビアニメ放映がされるとよく売れるようです。
出版されるタイトルの選択は、当初かなり偶然的でした。12年前に「DRAGONBALL」や「セーラームーン」を翻訳出版したときは、まさかここまで売れるとは思っていなかったので、かなりびっくりしたそうです。
現在では、まず日本の出版社とよく話し合いをして、最終的にはドイツ側が出版タイトルを決定する、という流れになっています。
これらのマンガの流通ですが、主に次の3つのルートがあります。
(1)一般書店:40~45%を占める。安定したルート。
(2)駅中の書店:20~25%。読者である子どもたちが通学の途中で購入する。
(3)マンガ専門書店
ここまで日本マンガが広がると、ある種の反発はないのでしょうか?
日本マンガの場合、よく言われるのは、その内容に、欧米社会では受け入れにくいレベルの性描写と暴力描写がなされているという批判です。
しかし、Joachimさんの意見は楽観的でした。彼によると、セックスもバイオレンスも、テレビや映画の中でいくらでもある。規模的なことを考えても、それらにまぎれて、マンガだけが批判されるということはないだろう、とのこと。2年前から、直接的な性を取り扱うBL系の作品も出しているが、こちらも批判されたことはこれまでないそうです。
TOKYOPOPは、アメリカにも支社を持つグローバル出版社ですが、そのアメリカと比べると、アメリカは、暴力はOKだが性的なものはダメ、一方ドイツはその反対、という傾向はあるようです。また、アメリカのTOKYOPOPでは、タバコを吸う人が登場するマンガは、16歳以上推奨、ということになるそうです。
ところで、こうした日本マンガを読んでいるのは、どんな人たちなのでしょう?
統計がないのでJoachimさんの印象だということですが、65%が女性ではないか、ということです。年齢的には、13~16歳くらいが、中核だろうとのこと。
12年前に出版した「DRAGONBALL」や「セーラームーン」も、13~16歳に向けていました。TOKYO POPとしては、この年齢がひとつの基準となって、13~16歳に合う作品を中心に出版してきたそうです。ところが、この「第1世代」たちも年齢を重ねていったので、例えば「DEATH NOTE」など、もう少し高い年齢のファンに合った作品もチョイスするようになりました。
ドイツの日本マンガの読者たちは、日本のマンガと、その他のマンガを強く区別している、とJoachimさんは言います。一般的に、日本マンガファンは「ASTERIX」のようなバンド・デシネも読まず、一方、その他のコミック・ファンも基本的には日本マンガには関心がないそうです。
このような分離ができると、特にその他のコミック・ファンや出版社から、非難めいた声が上がるのではないでしょうか?
しかし、Joachimさんは、この心配も一蹴します。12年前、一般書店にはマンガそのものが全く置かれていなかったが、日本マンガが売れ始めたため、「MANGA」コーナーと合わせて、その他のマンガを置くコーナーもでき始めたからです。
今後の日本マンガ出版についても聞いてみました。
Joachimさんは、マンガは「日常的なもの」であるべきだと言います。「アート」と呼ばれ、美術館などで飾られるようになったら、人々はアクセスしにくくなり、衰退していくだろう、と。実際、13歳以下の若い読者がついてこなくなっている傾向があり、それを心配しています。アクセスということで言えば、ドイツには日本マンガが掲載されている雑誌は『DAISUKI』1冊しかないが、こうした雑誌に代わるものとして、ネットを使って何かできないか、と考えているそうです。
また、日本マンガをドイツで作る、という試みも始めていて、グリム童話を日本人作家に描かせる、というのはそのひとつです。デュッセルドルフ在住のマンガ家Ishiyama Keiさん作の「GRIMMS MANGA」は、第2巻が出版される予定のシリーズで、第1巻は反応もよく、30000部という異例の部数でした。10ヶ国語で翻訳されたそうです(残念ながら、日本語版はまだ)。
SCHWARZER TURM訪問
続いてお話を聞いたのは、出版社SCHWARZER TURMのMichael Möllerさん。そして、日本マンガ・スタイルで作品を作っている作家であり、編集も行っているというOlivie ViewegさんとKatja Krengelさん。Olivieさんは、なんと、マンガミュージアムに来たことがあるそう!うーん、世間が狭いのか、マンガミュージアムがすごいのか?!SCHWARZER TURMは、TOKYOPOPのような大手ではないが、小さいゆえに小回りがきいて、新しい試みをドンドン行っている、という印象を持ちました。

1999年にスタートしたSCHWARZER TURMでは、これまで、120~150タイトルのマンガを出版してきました。2005年まではバンド・デシネを出版していましたが、2004年にこのメッセで、日本マンガが大旋風を起こしているのを目の当たりにして、方針を転換、この7年間は、ほとんど日本マンガのスタイルで描かれたマンガのみを扱っています。
現在では、年間8タイトルを出版。それぞれ、1500~3000部を刷っているそうです。
この出版社がユニークなのは、日本マンガを翻訳出版するのではなく、ドイツ人の若い描き手に日本マンガ・スタイルのマンガを描かせている点です。
これまでで一番売れたのは、『SVBWAY TO SALLY STORYBOOK』(2008)。実在のバンドの曲にインスピレーションされた短編マンガのコンピレーション本です。初刷りは8000部、2刷目は3000部だそう。次に売れているのが、日本マンガ・スタイルのマンガを集めた冊子『Paper Theatre』(写真)。

これまで6号を出していますが、それぞれ2000部を刷っているそうです。3番目に売れた『HUNGRY HEARTS』シリーズも日本マンガ・スタイルのコンピレーションで、各2000部刷っていますが、テーマは「エロティック」。日本のポルノマンガほど過激ではありませんが、セックスを直接描いています。作家も読み手もほとんどが女性だそうです。
日本マンガ・スタイルの作品集『Paper Theatre』シリーズの作家は、すべてドイツ人。1冊につき10人程度の作家が参加していますが、これまで約50人が参加しました。
読者は、女性7割、男性3割。日本マンガで育ったと言われる18~20歳の「第1世代」だほとんどです。女性読者の多くは、自分自身で日本スタイルのマンガを描くと言います。そして、そうした作品はしばしば投稿され、優秀なものをこの『Paper Theatre』に掲載していく、というシステムです。
雑誌(的なもので)未来の作家となる読者を育てていくというシステムは、日本のそれと似ています。
SCHWARZER TURMでは、『Paper Theatre』以外にも、同様の内容を持った『KAPPAMAKI』というシリーズも出していて、これは、おすしのカッパ巻きがそうであるように、トロのにぎりのようにまだまだメインを張れない新人作家の作品を掲載する作品集です。
ところで、作家であり、自身も、10~12歳頃に「セーラームーン」のアニメとマンガ本の洗礼を受けた、OlivieさんとKatjaさんにとって、日本マンガのどこに惹かれるのだろう?
Olivieさんによると、絵と内容がマッチしていて、「唯美的」なところだそうです。
2人のお気に入りの作家は、浦沢直樹。もちろん、「セーラームーン」の武内直子も特別な一人です。
日本マンガの読者が作者にまで育ち始めたドイツ。今後も日本マンガは、この国で伸びていくのだろうか?Möllerさんに聞いてみた。
彼の答えは、今がピークかも、ということでした。日本マンガの翻訳出版自体は、CARLSEN、TOKYOPOP、EGMONTの3大会社が独占しているし、「セーラームーン」がそうであったように、マンガブームを引き起こすアニメ放映を、現在は全くやっていないからです。
そうした将来像を持っているからこそ、Möllerさんたちは、ドイツにおける新しい日本マンガ・スタイルの開発に賭けている、という印象を持ちました。
作家であるOlivieさんも、はじめは確かに日本マンガをひたすら模倣していたが、最近は少しアーティスティックに自分を表現できるスタイルも模索している、と言います。実際、『Paper Theatre』にも『SVBWAY TO SALLY STORYBOOK』にも、日本マンガ・スタイルとは異なる、むしろグラフィック・ノベルに近い表現スタイルの実験がときにみられました。こうした、表現のスタイル自体に自分らしさを投影しようと努力する、というのは、これまで会ってきたドイツ人の作家全般に感じられたことです。(日本においては、一般的に、表現スタイルは単なる「ツール」であり、そのツールを使って、いかに物語を展開させていくかが重要)
こうした新しい形の追求は、『Paper Theatre』などの編集のやり方にもみてとれます。
これらの冊子を作る際、編集者と作家が入ることのできるプラットホームをネット上に作って、そこで、マンガ作品のストーリー展開から、表紙のレイアウトまで、を議論するのだそうです。ここのは、マンガ家も編集者も関係なく、全員で新しいスタイルを作っていこうという気概が感じられます。
こうしたMöllerさんたちの努力が、これまでの日本マンガでもドイツ・コミックでもない、新しいマンガを生み出してくれるのではないか、と感じられたインタビューでした。
MARUME MANGA訪問
15:30~、メッセに参加していた「MARUME-MANGA」のChie Grünwaltさん(写真)にお話を聞く機会を得ました。

MARUME-MANGAは、ドイツで、マンガの描き方の通信講座を展開している団体。今年で3年目となる講座には、現在登録中でアクティブな生徒は50名。1ヶ月89ユーロの5ヶ月コースです。アナログ(紙とペン)での執筆にこだわっていて、生徒の作品はすべて郵送で送られてきます。それを、契約している日本のプロマンガ家に転送して、添削してもらうというシステムです。
生徒の多くは16~18歳くらいで、10代が多い。職業訓練校に通いながら、という人もいて、講座費も親が出しているとは限らないようです。MARUME-MANGAとしてはあくまで「趣味講座」として行っていますが、プロ志向の人が多いとのことです。
MARUME-MANGAは、通信講座のほかに、マンガの描き方マニュアルも出版しました。2週間前に出されたばかりの『Der große Manga-Knaur』(Knaur)は、これまでどっちかと言えば、高い年齢に向けて作られていたこの手の本と違って、むしろ子ども向けに編集したそうです。Knaurは、こうしたマニュアル本出版の最大手。初刷りは10000冊だそうです。また、コスプレ・イベントなどを中心にしたドイツにおける日本のポップカルチャー紹介イベント「connichi」や「ani/MUC」などをサポートするなど、ドイツにおける日本マンガ業界(?)を支えています。
そのMARUME-MANGAのChieさんにも、このブームの行く先について尋ねてみました。
彼女の答えも、SCHWARZER TURMのMöllerさん同様、現在日本アニメが放映されていないことを危惧していました。彼女たちは、日本マンガの流行には、アニメの放映がとても重要だと考えているようです。一方、日本マンガや日本アニメに付随して流行しつつある日本のポップミュージックは、もう少し伸びていくかもしれない、というのがChieさんの予測です。メッセにも、Gacktなどいわゆるビジュアル系のアーティストに関するファン・ブースもできていて、日本で彼らのファンがそうしているように、ゴスロリファッションの人たちがたくさん会場を歩いていました。Chieさんによると、ビジュアル系音楽のファンの9割は、マンガも描くのだそうです。
PANINI訪問
16:45~出版社PANINIを取材。対応してくれたのは、PR- & Press-ManagerでSenior EditorでもあるSteffen Volkmerさん(写真)。

PANINIは、アメコミなどを含めたコミック全体の出版規模で言えばドイツ第1位だが、翻訳日本マンガのシェアで考えると第4位ということです。
日本の翻訳マンガは2ヶ月で7冊程度を出版していて、それぞれ大体1500冊を刷ってそのうち500冊が返本されるという状況のようです。10000部売れたという例もあります。流通のルートは、TOKYOPOPと同じく、まずは一般書店、続いて駅中の書店、そして専門書店という順番。
メッセには2001年から出店しているそうです。
フランクフルトのブックメッセにも出店しているそうですが、Steffenの印象では、ライプツィヒのメッセは、フランクフルトに比べると、マンガ・アニメの割合はずっと大きいということです。ライプツィヒのメッセの全体の規模はフランクフルトの1/10にもかかわらず、マンガ・アニメのコーナーはどちらも同規模だからです。
とは言うものの、Steffenさんの意見も、ドイツにおける日本マンガの将来像は単純に明るいものではありませんでした。
彼によると、PANINIにおける日本マンガのピークは2年前。実際、出版タイトルも、ピーク時に比べると現在は年間50タイトルほど減ったそうです。
その理由は2つある、とSteffenさんは分析します。
(1) かつては、日本マンガというだけで出版されていたが、現在は、ある程度セレクトした上で出版されているから。
(2) 日本マンガの「第1世代」が育った原因である日本アニメの放映が、現在はないから。(かわりにアメリカのスーパーヒーローもののアニメーションが入ってきたが、アメリカン・アニメが入ってきたから日本アニメが駆逐されたということではない)
現在、PANINIの日本マンガファンは、14歳以上で、20~25歳くらいまで。
若い読者を引き寄せるアニメ放映のような起爆剤がなければ、日本マンガのシェアはどんどん減っていき、最終的には、アメコミと同じくらいの割合にあるのではないか、というのが、Steffenの予測でした。
今回出版社の話を聞いて、ドイツにおける日本マンガブームは、一応のピークを越えて、ある種の落ち着きを持ち始めているという認識を持っていることがわかりました。
その落ち着きに対する出版社の解釈はそれぞれで、楽観視するところもあれば、悲観的に捕らえているところもある。一方で、ドイツ人による日本マンガ・スタイルとの格闘も始まっています。
いずれにせよ、ドイツのマンガ出版業界は、日本マンガの動向を横目に見つつ動いていく、という時期がいましばらく続くのではないかという印象を持ちました。
あすは3大日本マンガ出版社のひとつであるEGMONTと、ファン代表と言える日本マンガ・アニメのファン団体ANIMEXXを取材します。
晩ご飯は、ホテルの近くのスペイン料理屋さんで。
料理を待っている間、知らないうちに眠ってしまったらしく(1時間近く!)、上田さんに起こされる体たらく。体力落ちたなぁ…と反省したのでした。
ベルリンでは正常に動いていた電波時計が、なぜかちょうど1時間遅れるというなぞの状態になっていたため、あわてて支度をしてなんとか遅れずに済んだけど、睡眠時間は、今日も2時間くらい。
ベルリンでは主に、いわゆる「グラフィック・ノベル」とか「オルタナティブ・コミック」などと呼ばれるドイツ原産のマンガについて調査してきました。
一方、ここライプツィヒでは、13日~15日の3日間開催される「ライプツィヒ・ブックメッセ」という本の見本市に出展している、日本マンガ(スタイル)の翻訳出版社の各担当者にインタビューしていきます。
ライプツィヒのブックメッセは、フランクフルトのそれと並ぶ2大ブックメッセ。毎年10万人以上の人が集うビッグイベントです。基本的には本の見本市ですから、各出版社が、5つの大きなホールにそれぞれブースを設けて、そこで新刊を販売したり、イベントをしたりします。フランクフルトが、どっちかと言えば業者向けであるのに対し、ライプツィヒのメッセは、最初から一般の人にオープンにしているのが特徴。修学旅行生や親子連れなど、若い人たちもかなり多くて、さすが本の国!と驚きました。
この伝統的な本の世界にマンガ・コーナーができたのは最近のこと(写真)。8年前にはマンガ出版社の出店はありませんでした。
そこでは、もちろんドイツ原産のコミックや、アメコミ、フランスのバンド・デシネなども紹介されますが、多くは日本のマンガ。実際、ドイツのマンガ市場は、65%が翻訳日本マンガで、35%がその他のマンガと言われています。
マンガコーナー
そして、会場では、この日本マンガに付随する日本文化――アニメやゲームや玩具はもちろん、ファッションや食事、囲碁(写真)や漢字までが、売られたり紹介されたりします。
ただし、このブースに座っていたのは、日本人ではなく、中国系の人でした。
ビジュアル系バンドも日本のポップカルチャーを象徴するもの。歌手のガクトの名が恭しくが飾られる。
現在では、このマンガ・コーナーは、コスプレ大会などを行うイベント会場や、日本文化紹介コーナーなどを含めて、メッセを構成する5つのホールのうちのひとつの約1/3を占めるまでの大きさになっています。ぼく自身他のコーナーを見てきましたが、その混み具合なども含め、最も盛り上がっていたのが、このマンガ・コーナーと言っても過言ではありません。実際、会場では常に、バンドなどの演奏や、そうでなければアニメ上映会から流れる効果音やBGMが流れていて、そこに、身動きできないくらいの数の人々の話声がかぶさり、会場はかなり騒然としていました。
TOKYO POP訪問
さて。
ドイツにおける日本マンガの翻訳出版は、CARLSEN、TOKYOPOP、EGMONTの3社のほぼ独占状態と言われています。後出TOKYOPOPのJoachim Kaps氏によると、CARLSEN45%、TOKYOPOPとEGMONTがそれぞれ25%、その他5%ということでした。
今回は、この大手3社に加えて、SCHWARZER TURMとPANINIの5社の各担当者にインタビューできることになりました。
(ちなみに、ライプツィヒのメッセに、日本のマンガ出版社は出店していません。ドイツ文化センターのマンケさんによると、フランクフルトにもあるマンガ・コーナーの規模はライプツィヒと同じくらいだが、日本の出版社も出店しているとのことです)
まずは、3巨頭のうちのひとつTOKYOPOPを取材。対応していただいたのは、マネージング・ディレクターの
Joachim Kapsさん
TOKYOPOPではこの4年間で150シリーズ、400タイトルの翻訳日本マンガを出版してきました。現在は毎月20タイトルを出しています。うまくいったときは、1タイトルで30000~35000部を出版することもあるそうです。
これまで一番売れたシリーズは、種村有菜「紳士同盟」。少女向けマンガです。(フランスでは売れなかったそう)その他、「DEATH NOTE」や「BLEACH」がドル箱ということでした。やはり、「ONE PIECE」や「DRAGONBALL」など、テレビアニメ放映がされるとよく売れるようです。
出版されるタイトルの選択は、当初かなり偶然的でした。12年前に「DRAGONBALL」や「セーラームーン」を翻訳出版したときは、まさかここまで売れるとは思っていなかったので、かなりびっくりしたそうです。
現在では、まず日本の出版社とよく話し合いをして、最終的にはドイツ側が出版タイトルを決定する、という流れになっています。
これらのマンガの流通ですが、主に次の3つのルートがあります。
(1)一般書店:40~45%を占める。安定したルート。
(2)駅中の書店:20~25%。読者である子どもたちが通学の途中で購入する。
(3)マンガ専門書店
ここまで日本マンガが広がると、ある種の反発はないのでしょうか?
日本マンガの場合、よく言われるのは、その内容に、欧米社会では受け入れにくいレベルの性描写と暴力描写がなされているという批判です。
しかし、Joachimさんの意見は楽観的でした。彼によると、セックスもバイオレンスも、テレビや映画の中でいくらでもある。規模的なことを考えても、それらにまぎれて、マンガだけが批判されるということはないだろう、とのこと。2年前から、直接的な性を取り扱うBL系の作品も出しているが、こちらも批判されたことはこれまでないそうです。
TOKYOPOPは、アメリカにも支社を持つグローバル出版社ですが、そのアメリカと比べると、アメリカは、暴力はOKだが性的なものはダメ、一方ドイツはその反対、という傾向はあるようです。また、アメリカのTOKYOPOPでは、タバコを吸う人が登場するマンガは、16歳以上推奨、ということになるそうです。
ところで、こうした日本マンガを読んでいるのは、どんな人たちなのでしょう?
統計がないのでJoachimさんの印象だということですが、65%が女性ではないか、ということです。年齢的には、13~16歳くらいが、中核だろうとのこと。
12年前に出版した「DRAGONBALL」や「セーラームーン」も、13~16歳に向けていました。TOKYO POPとしては、この年齢がひとつの基準となって、13~16歳に合う作品を中心に出版してきたそうです。ところが、この「第1世代」たちも年齢を重ねていったので、例えば「DEATH NOTE」など、もう少し高い年齢のファンに合った作品もチョイスするようになりました。
ドイツの日本マンガの読者たちは、日本のマンガと、その他のマンガを強く区別している、とJoachimさんは言います。一般的に、日本マンガファンは「ASTERIX」のようなバンド・デシネも読まず、一方、その他のコミック・ファンも基本的には日本マンガには関心がないそうです。
このような分離ができると、特にその他のコミック・ファンや出版社から、非難めいた声が上がるのではないでしょうか?
しかし、Joachimさんは、この心配も一蹴します。12年前、一般書店にはマンガそのものが全く置かれていなかったが、日本マンガが売れ始めたため、「MANGA」コーナーと合わせて、その他のマンガを置くコーナーもでき始めたからです。
今後の日本マンガ出版についても聞いてみました。
Joachimさんは、マンガは「日常的なもの」であるべきだと言います。「アート」と呼ばれ、美術館などで飾られるようになったら、人々はアクセスしにくくなり、衰退していくだろう、と。実際、13歳以下の若い読者がついてこなくなっている傾向があり、それを心配しています。アクセスということで言えば、ドイツには日本マンガが掲載されている雑誌は『DAISUKI』1冊しかないが、こうした雑誌に代わるものとして、ネットを使って何かできないか、と考えているそうです。
また、日本マンガをドイツで作る、という試みも始めていて、グリム童話を日本人作家に描かせる、というのはそのひとつです。デュッセルドルフ在住のマンガ家Ishiyama Keiさん作の「GRIMMS MANGA」は、第2巻が出版される予定のシリーズで、第1巻は反応もよく、30000部という異例の部数でした。10ヶ国語で翻訳されたそうです(残念ながら、日本語版はまだ)。
SCHWARZER TURM訪問
続いてお話を聞いたのは、出版社SCHWARZER TURMのMichael Möllerさん。そして、日本マンガ・スタイルで作品を作っている作家であり、編集も行っているというOlivie ViewegさんとKatja Krengelさん。Olivieさんは、なんと、マンガミュージアムに来たことがあるそう!うーん、世間が狭いのか、マンガミュージアムがすごいのか?!SCHWARZER TURMは、TOKYOPOPのような大手ではないが、小さいゆえに小回りがきいて、新しい試みをドンドン行っている、という印象を持ちました。
右から、Michaelさん、Katjaさん、Olivieさん。
1999年にスタートしたSCHWARZER TURMでは、これまで、120~150タイトルのマンガを出版してきました。2005年まではバンド・デシネを出版していましたが、2004年にこのメッセで、日本マンガが大旋風を起こしているのを目の当たりにして、方針を転換、この7年間は、ほとんど日本マンガのスタイルで描かれたマンガのみを扱っています。
現在では、年間8タイトルを出版。それぞれ、1500~3000部を刷っているそうです。
この出版社がユニークなのは、日本マンガを翻訳出版するのではなく、ドイツ人の若い描き手に日本マンガ・スタイルのマンガを描かせている点です。
これまでで一番売れたのは、『SVBWAY TO SALLY STORYBOOK』(2008)。実在のバンドの曲にインスピレーションされた短編マンガのコンピレーション本です。初刷りは8000部、2刷目は3000部だそう。次に売れているのが、日本マンガ・スタイルのマンガを集めた冊子『Paper Theatre』(写真)。
これまで6号を出していますが、それぞれ2000部を刷っているそうです。3番目に売れた『HUNGRY HEARTS』シリーズも日本マンガ・スタイルのコンピレーションで、各2000部刷っていますが、テーマは「エロティック」。日本のポルノマンガほど過激ではありませんが、セックスを直接描いています。作家も読み手もほとんどが女性だそうです。
日本マンガ・スタイルの作品集『Paper Theatre』シリーズの作家は、すべてドイツ人。1冊につき10人程度の作家が参加していますが、これまで約50人が参加しました。
読者は、女性7割、男性3割。日本マンガで育ったと言われる18~20歳の「第1世代」だほとんどです。女性読者の多くは、自分自身で日本スタイルのマンガを描くと言います。そして、そうした作品はしばしば投稿され、優秀なものをこの『Paper Theatre』に掲載していく、というシステムです。
雑誌(的なもので)未来の作家となる読者を育てていくというシステムは、日本のそれと似ています。
SCHWARZER TURMでは、『Paper Theatre』以外にも、同様の内容を持った『KAPPAMAKI』というシリーズも出していて、これは、おすしのカッパ巻きがそうであるように、トロのにぎりのようにまだまだメインを張れない新人作家の作品を掲載する作品集です。
ところで、作家であり、自身も、10~12歳頃に「セーラームーン」のアニメとマンガ本の洗礼を受けた、OlivieさんとKatjaさんにとって、日本マンガのどこに惹かれるのだろう?
Olivieさんによると、絵と内容がマッチしていて、「唯美的」なところだそうです。
2人のお気に入りの作家は、浦沢直樹。もちろん、「セーラームーン」の武内直子も特別な一人です。
日本マンガの読者が作者にまで育ち始めたドイツ。今後も日本マンガは、この国で伸びていくのだろうか?Möllerさんに聞いてみた。
彼の答えは、今がピークかも、ということでした。日本マンガの翻訳出版自体は、CARLSEN、TOKYOPOP、EGMONTの3大会社が独占しているし、「セーラームーン」がそうであったように、マンガブームを引き起こすアニメ放映を、現在は全くやっていないからです。
そうした将来像を持っているからこそ、Möllerさんたちは、ドイツにおける新しい日本マンガ・スタイルの開発に賭けている、という印象を持ちました。
作家であるOlivieさんも、はじめは確かに日本マンガをひたすら模倣していたが、最近は少しアーティスティックに自分を表現できるスタイルも模索している、と言います。実際、『Paper Theatre』にも『SVBWAY TO SALLY STORYBOOK』にも、日本マンガ・スタイルとは異なる、むしろグラフィック・ノベルに近い表現スタイルの実験がときにみられました。こうした、表現のスタイル自体に自分らしさを投影しようと努力する、というのは、これまで会ってきたドイツ人の作家全般に感じられたことです。(日本においては、一般的に、表現スタイルは単なる「ツール」であり、そのツールを使って、いかに物語を展開させていくかが重要)
こうした新しい形の追求は、『Paper Theatre』などの編集のやり方にもみてとれます。
これらの冊子を作る際、編集者と作家が入ることのできるプラットホームをネット上に作って、そこで、マンガ作品のストーリー展開から、表紙のレイアウトまで、を議論するのだそうです。ここのは、マンガ家も編集者も関係なく、全員で新しいスタイルを作っていこうという気概が感じられます。
こうしたMöllerさんたちの努力が、これまでの日本マンガでもドイツ・コミックでもない、新しいマンガを生み出してくれるのではないか、と感じられたインタビューでした。
MARUME MANGA訪問
15:30~、メッセに参加していた「MARUME-MANGA」のChie Grünwaltさん(写真)にお話を聞く機会を得ました。
MARUME-MANGAは、ドイツで、マンガの描き方の通信講座を展開している団体。今年で3年目となる講座には、現在登録中でアクティブな生徒は50名。1ヶ月89ユーロの5ヶ月コースです。アナログ(紙とペン)での執筆にこだわっていて、生徒の作品はすべて郵送で送られてきます。それを、契約している日本のプロマンガ家に転送して、添削してもらうというシステムです。
生徒の多くは16~18歳くらいで、10代が多い。職業訓練校に通いながら、という人もいて、講座費も親が出しているとは限らないようです。MARUME-MANGAとしてはあくまで「趣味講座」として行っていますが、プロ志向の人が多いとのことです。
MARUME-MANGAは、通信講座のほかに、マンガの描き方マニュアルも出版しました。2週間前に出されたばかりの『Der große Manga-Knaur』(Knaur)は、これまでどっちかと言えば、高い年齢に向けて作られていたこの手の本と違って、むしろ子ども向けに編集したそうです。Knaurは、こうしたマニュアル本出版の最大手。初刷りは10000冊だそうです。また、コスプレ・イベントなどを中心にしたドイツにおける日本のポップカルチャー紹介イベント「connichi」や「ani/MUC」などをサポートするなど、ドイツにおける日本マンガ業界(?)を支えています。
そのMARUME-MANGAのChieさんにも、このブームの行く先について尋ねてみました。
彼女の答えも、SCHWARZER TURMのMöllerさん同様、現在日本アニメが放映されていないことを危惧していました。彼女たちは、日本マンガの流行には、アニメの放映がとても重要だと考えているようです。一方、日本マンガや日本アニメに付随して流行しつつある日本のポップミュージックは、もう少し伸びていくかもしれない、というのがChieさんの予測です。メッセにも、Gacktなどいわゆるビジュアル系のアーティストに関するファン・ブースもできていて、日本で彼らのファンがそうしているように、ゴスロリファッションの人たちがたくさん会場を歩いていました。Chieさんによると、ビジュアル系音楽のファンの9割は、マンガも描くのだそうです。
PANINI訪問
16:45~出版社PANINIを取材。対応してくれたのは、PR- & Press-ManagerでSenior EditorでもあるSteffen Volkmerさん(写真)。
PANINIは、アメコミなどを含めたコミック全体の出版規模で言えばドイツ第1位だが、翻訳日本マンガのシェアで考えると第4位ということです。
日本の翻訳マンガは2ヶ月で7冊程度を出版していて、それぞれ大体1500冊を刷ってそのうち500冊が返本されるという状況のようです。10000部売れたという例もあります。流通のルートは、TOKYOPOPと同じく、まずは一般書店、続いて駅中の書店、そして専門書店という順番。
メッセには2001年から出店しているそうです。
フランクフルトのブックメッセにも出店しているそうですが、Steffenの印象では、ライプツィヒのメッセは、フランクフルトに比べると、マンガ・アニメの割合はずっと大きいということです。ライプツィヒのメッセの全体の規模はフランクフルトの1/10にもかかわらず、マンガ・アニメのコーナーはどちらも同規模だからです。
とは言うものの、Steffenさんの意見も、ドイツにおける日本マンガの将来像は単純に明るいものではありませんでした。
彼によると、PANINIにおける日本マンガのピークは2年前。実際、出版タイトルも、ピーク時に比べると現在は年間50タイトルほど減ったそうです。
その理由は2つある、とSteffenさんは分析します。
(1) かつては、日本マンガというだけで出版されていたが、現在は、ある程度セレクトした上で出版されているから。
(2) 日本マンガの「第1世代」が育った原因である日本アニメの放映が、現在はないから。(かわりにアメリカのスーパーヒーローもののアニメーションが入ってきたが、アメリカン・アニメが入ってきたから日本アニメが駆逐されたということではない)
現在、PANINIの日本マンガファンは、14歳以上で、20~25歳くらいまで。
若い読者を引き寄せるアニメ放映のような起爆剤がなければ、日本マンガのシェアはどんどん減っていき、最終的には、アメコミと同じくらいの割合にあるのではないか、というのが、Steffenの予測でした。
今回出版社の話を聞いて、ドイツにおける日本マンガブームは、一応のピークを越えて、ある種の落ち着きを持ち始めているという認識を持っていることがわかりました。
その落ち着きに対する出版社の解釈はそれぞれで、楽観視するところもあれば、悲観的に捕らえているところもある。一方で、ドイツ人による日本マンガ・スタイルとの格闘も始まっています。
いずれにせよ、ドイツのマンガ出版業界は、日本マンガの動向を横目に見つつ動いていく、という時期がいましばらく続くのではないかという印象を持ちました。
あすは3大日本マンガ出版社のひとつであるEGMONTと、ファン代表と言える日本マンガ・アニメのファン団体ANIMEXXを取材します。
晩ご飯は、ホテルの近くのスペイン料理屋さんで。
料理を待っている間、知らないうちに眠ってしまったらしく(1時間近く!)、上田さんに起こされる体たらく。体力落ちたなぁ…と反省したのでした。
Thursday, 12. March 2009
ドイツマンガ調査旅行 4日目
ベルリン滞在も4日目。
このレポート、毎日、日が変わる少し前ホテルに戻って、1時間くらい仮眠をとってから書き始めています。終わるのがだいたい朝の6時くらい。2時間ほど寝てまた調査…とかなりハードな強行軍であります。
と、いうこともあり、また、これまで、ほとんど、ホテルと作家さんたちのスタジオを行ったり来たりしてただけだったということもあって、今日は、彼らの作品でしばしばテーマとして取り上げられる「ベルリン」という街を少しゆっくり観察しました。
ベルリンという都市は、東西分断という歴史的背景もあって、先進国の首都としては、例えば、東京やパリに比べると特異な風景を持っているように思えました。街が、何というか、つくりかけの感じがすごくするのです。実際、常にあちらこちらで大きな工事が行われていて、中心部にもかかわらず、突然、ショベルカーとクレーンしかない巨大な更地が現れたりする。郊外に行くと、壁のあった部分は、正に開発中で、その土地にアパートが建ち始めていました。もちろん、旧・東ドイツ時代の機能的な近代建築も含め、様々な様式の建物が目を楽しませてくれます。
一方、ぼくが興味を持って写真を撮りまくったのは、いわゆるグラフィティと呼ばれる壁の“落書き”です。これが、本当に、多い。建築物同様、様々な「スタイル」のケミカルない色の文字が、場合によっては、歴史的な風合いの建築物と不思議なコントラストを作り出して、ある意味、もっとも近代を感じさせてくれるのでした。


ZILLE MUSEUM訪問
今日は、20世紀初頭にベルリンで活躍したHeinlich Zille(1858-1929)という風俗画家の作品を集めた「ZiLLE MUSEUM」にも行ってきました。仕事をクビになったため、50歳を過ぎてから美術学校に入ったZilleは、当時の美術界のメインストリームとはずいぶん異なった画家人生を送ることになります。絵の対象にしたのも、当時の一般の人たちの何気ない街での生活です。現在、
15000枚のスケッチが残っていますが、Zilleは、そのスケッチを組み合わせて、1枚の風俗画を仕上げていたようです。一人一人の息遣いが聞こえてきそうな、日常を切り取った群集画は、同じく、当時の農民の日常生活を克明に描いたオランダの画家・ブリューゲルを思い出させます。こうした「民衆」への関心を絵として記録していくということは珍しく、実際、Zilleの絵は、当時を知る第一級の歴史資料でもあります。実はZille は、スケッチの代わりに写真もたくさん撮っており、この当時としては珍しく“なんでもない”風景や人々を撮った600枚の写真も、いまや非常に貴重な資料となっています。
彼はまた、1枚絵だけでなく、コマを区切った一種の「コミックストリップ」も描いています。吹き出しこそないが、描かれている人々のセリフも、コマの内外に書かれていて、これはもう「マンガ」と言ってもいいでしょう。
ベルリンの本屋さん
※旅行先では必ず本屋さんに入る人っていません?どこでも買えるのに、旅先で財布のヒモがゆるんでいるのをいいことに、本を大量に買い込んで、重い荷物を抱えたまま残りの旅程を後悔しながら消化する…。実は、ぼくもそうしたダメ人間のひとり。しかしながら、今回は、マンガの実態を知るための調査旅行!もちろん、本屋さんに入ることも立派な仕事になります。
初日のブログでも書きましたように、書店におけるマンガの配架のあり方は、その国のマンガ事情を知るための重要なフィールドです。読者の気持ちと、出版社の意図がクロスする場であるからです。
ここでは、ベルリンの3つのタイプの本屋さんにおけるマンガのある風景を素描してみたいと思います。
(1)一般書店
きのうTitusに、モールの中にある大きな総合一般書店へ連れて行ってもらいました。そこには、日本マンガの翻訳版を置いてある「MANGA」コーナー(写真)と、一般的によく売れている『mosaik』誌のようなユーモア・コミックやグラフィック・ノベル、場合によっては日本マンガも含めた「COMIC」コーナー(写真)のふたつがありました。このわけ方は、もちろん日本マンガとそれ以外という意味合いもありますが、「MANGA」コーナーが子ども本の隣にあって、「COMIC」コーナーに、大人向けの日本マンガが混じっていたことから、子どものマンガ/大人のマンガという意味もあるように思われます。(ただし、いわゆる「BL」マンガは「MANGA」コーナーに。小学中学年くらいの女の子を連れたお母さんとかも棚を見ていて、ちょっとハラハラしました…)


(2)駅中の書店
内容は一般書店に似ていますが、駅に併設された書店というのも、書籍の流通という意味では重要な場所です。ここでは、大きく分けると3つのタイプのマンガ単行本がありました。日本マンガの翻訳本「MANGA」(写真)。ディズニーや「ASTERISK」といった、主にアメリカやフランスのユーモア・コミックの翻訳本コーナー(写真)。主に大人向けのいわゆる「アメコミ」(写真)。



ちなみに、キャッシャー後ろの飾り棚には「BATMAN」などのアメコミが、通路に向けた「TOP SELLER」コーナーには「LUCKY LUKE」が。LUCKY LUKE」は、フランスで「ASTERISK」のように長い間愛されているユーモア活劇マンガです。

(3)グラフィック・ノベル専門店
今日、ベルリンの街中にある「Hackershe Hofe」という地域に行ってきました。Hofeというのは「中庭」の意ですが、文字通り中庭を構成する建物が集まった場所で、いまは、その建物に少しおしゃれなお店やトンガッたお店がたくさん入っていることで一種の観光地となっているようです。「neuro titan」という本屋さんも、このHackershe Hofeの奥の奥、グラフィティなどが所狭しと描かれた階段(写真)を上った先にありました。

ここには、これまでにぼくらが取材した、いわゆるインディペンデントなアートよりの作家さんたちの作品ばかりが売られていました。平積みされた中に知った名前をたくさん見つけ、いまさらながら、この世界ではかなりの有名人たちに会っていたのだということを実感しました。売られているのは本だけではなく、画集や写真集を含めたいわゆるビジュアルブック、TシャツやCDなどの雑貨。店の奥にはレコードプレイヤーがあり…そうですね、日本で言えば、「ヴィレッジバンガード」をさらにとんがらした感じ。お客さんは、ほとんどが、若いカジュアルな格好をした男女でした。

地元TVにも出演!
今日は、「MOGA MOBO」を取材していたベルリンのテレビ局「Rundfunk Berlin-Brandenburg」にゲスト出演し、ドイツ・コミックの印象、日本マンガの特徴などについてコメントしてきました。

ベルリンとは今日でお別れ。夕方、DBの中央駅へ行き、特急に乗って、ベルリンから南に1時間ほど下ったライプツィヒへ。ライプツィヒ駅を降りると、そこは雨の古都。あすからは、この街で行われるドイツ二大ブック・メッセのひとつを視察、そこに出店しているマンガ出版社や作家さんたちにインタビューをしてくる予定です。
乞う、ご期待!
このレポート、毎日、日が変わる少し前ホテルに戻って、1時間くらい仮眠をとってから書き始めています。終わるのがだいたい朝の6時くらい。2時間ほど寝てまた調査…とかなりハードな強行軍であります。
と、いうこともあり、また、これまで、ほとんど、ホテルと作家さんたちのスタジオを行ったり来たりしてただけだったということもあって、今日は、彼らの作品でしばしばテーマとして取り上げられる「ベルリン」という街を少しゆっくり観察しました。
ベルリンという都市は、東西分断という歴史的背景もあって、先進国の首都としては、例えば、東京やパリに比べると特異な風景を持っているように思えました。街が、何というか、つくりかけの感じがすごくするのです。実際、常にあちらこちらで大きな工事が行われていて、中心部にもかかわらず、突然、ショベルカーとクレーンしかない巨大な更地が現れたりする。郊外に行くと、壁のあった部分は、正に開発中で、その土地にアパートが建ち始めていました。もちろん、旧・東ドイツ時代の機能的な近代建築も含め、様々な様式の建物が目を楽しませてくれます。
一方、ぼくが興味を持って写真を撮りまくったのは、いわゆるグラフィティと呼ばれる壁の“落書き”です。これが、本当に、多い。建築物同様、様々な「スタイル」のケミカルない色の文字が、場合によっては、歴史的な風合いの建築物と不思議なコントラストを作り出して、ある意味、もっとも近代を感じさせてくれるのでした。
地下鉄にも!
ZILLE MUSEUM訪問
今日は、20世紀初頭にベルリンで活躍したHeinlich Zille(1858-1929)という風俗画家の作品を集めた「ZiLLE MUSEUM」にも行ってきました。仕事をクビになったため、50歳を過ぎてから美術学校に入ったZilleは、当時の美術界のメインストリームとはずいぶん異なった画家人生を送ることになります。絵の対象にしたのも、当時の一般の人たちの何気ない街での生活です。現在、
15000枚のスケッチが残っていますが、Zilleは、そのスケッチを組み合わせて、1枚の風俗画を仕上げていたようです。一人一人の息遣いが聞こえてきそうな、日常を切り取った群集画は、同じく、当時の農民の日常生活を克明に描いたオランダの画家・ブリューゲルを思い出させます。こうした「民衆」への関心を絵として記録していくということは珍しく、実際、Zilleの絵は、当時を知る第一級の歴史資料でもあります。実はZille は、スケッチの代わりに写真もたくさん撮っており、この当時としては珍しく“なんでもない”風景や人々を撮った600枚の写真も、いまや非常に貴重な資料となっています。
彼はまた、1枚絵だけでなく、コマを区切った一種の「コミックストリップ」も描いています。吹き出しこそないが、描かれている人々のセリフも、コマの内外に書かれていて、これはもう「マンガ」と言ってもいいでしょう。
ベルリンの本屋さん
※旅行先では必ず本屋さんに入る人っていません?どこでも買えるのに、旅先で財布のヒモがゆるんでいるのをいいことに、本を大量に買い込んで、重い荷物を抱えたまま残りの旅程を後悔しながら消化する…。実は、ぼくもそうしたダメ人間のひとり。しかしながら、今回は、マンガの実態を知るための調査旅行!もちろん、本屋さんに入ることも立派な仕事になります。
初日のブログでも書きましたように、書店におけるマンガの配架のあり方は、その国のマンガ事情を知るための重要なフィールドです。読者の気持ちと、出版社の意図がクロスする場であるからです。
ここでは、ベルリンの3つのタイプの本屋さんにおけるマンガのある風景を素描してみたいと思います。
(1)一般書店
きのうTitusに、モールの中にある大きな総合一般書店へ連れて行ってもらいました。そこには、日本マンガの翻訳版を置いてある「MANGA」コーナー(写真)と、一般的によく売れている『mosaik』誌のようなユーモア・コミックやグラフィック・ノベル、場合によっては日本マンガも含めた「COMIC」コーナー(写真)のふたつがありました。このわけ方は、もちろん日本マンガとそれ以外という意味合いもありますが、「MANGA」コーナーが子ども本の隣にあって、「COMIC」コーナーに、大人向けの日本マンガが混じっていたことから、子どものマンガ/大人のマンガという意味もあるように思われます。(ただし、いわゆる「BL」マンガは「MANGA」コーナーに。小学中学年くらいの女の子を連れたお母さんとかも棚を見ていて、ちょっとハラハラしました…)
Mangaコーナー
Comicコーナー
(2)駅中の書店
内容は一般書店に似ていますが、駅に併設された書店というのも、書籍の流通という意味では重要な場所です。ここでは、大きく分けると3つのタイプのマンガ単行本がありました。日本マンガの翻訳本「MANGA」(写真)。ディズニーや「ASTERISK」といった、主にアメリカやフランスのユーモア・コミックの翻訳本コーナー(写真)。主に大人向けのいわゆる「アメコミ」(写真)。
Manga
ユーモア・コミック
アメコミ
ちなみに、キャッシャー後ろの飾り棚には「BATMAN」などのアメコミが、通路に向けた「TOP SELLER」コーナーには「LUCKY LUKE」が。LUCKY LUKE」は、フランスで「ASTERISK」のように長い間愛されているユーモア活劇マンガです。
(3)グラフィック・ノベル専門店
今日、ベルリンの街中にある「Hackershe Hofe」という地域に行ってきました。Hofeというのは「中庭」の意ですが、文字通り中庭を構成する建物が集まった場所で、いまは、その建物に少しおしゃれなお店やトンガッたお店がたくさん入っていることで一種の観光地となっているようです。「neuro titan」という本屋さんも、このHackershe Hofeの奥の奥、グラフィティなどが所狭しと描かれた階段(写真)を上った先にありました。
ここには、これまでにぼくらが取材した、いわゆるインディペンデントなアートよりの作家さんたちの作品ばかりが売られていました。平積みされた中に知った名前をたくさん見つけ、いまさらながら、この世界ではかなりの有名人たちに会っていたのだということを実感しました。売られているのは本だけではなく、画集や写真集を含めたいわゆるビジュアルブック、TシャツやCDなどの雑貨。店の奥にはレコードプレイヤーがあり…そうですね、日本で言えば、「ヴィレッジバンガード」をさらにとんがらした感じ。お客さんは、ほとんどが、若いカジュアルな格好をした男女でした。
地元TVにも出演!
今日は、「MOGA MOBO」を取材していたベルリンのテレビ局「Rundfunk Berlin-Brandenburg」にゲスト出演し、ドイツ・コミックの印象、日本マンガの特徴などについてコメントしてきました。
ベルリンとは今日でお別れ。夕方、DBの中央駅へ行き、特急に乗って、ベルリンから南に1時間ほど下ったライプツィヒへ。ライプツィヒ駅を降りると、そこは雨の古都。あすからは、この街で行われるドイツ二大ブック・メッセのひとつを視察、そこに出店しているマンガ出版社や作家さんたちにインタビューをしてくる予定です。
乞う、ご期待!
Wednesday, 11. March 2009
ドイツマンガ調査旅行 3日目
ベルリン滞在3日目。
天気は、こちらに着いて以来、曇ったり雨が降ったり、時に晴れたりと、いまいち不安定(ドイツ人は、ちょっとやそっとの雨では傘をささない、ということを発見)。寒いことは寒いが、京都にとそんなに変わらない。空気が乾燥しているために、のどの調子が終始よくありません。ただ、花粉の大きさが日本と違うのか、鼻の通りは、日本にいたときよりもずっといい感じ。
今日は、ベルリンでのコーディネータをお願いしているTitusの率いるコミック・プロジェクト集団「MOGA MOBO」、コミック・アーティスト集団兼出版社「Berlin Comix」を訪問しました。
MOGA MOBO訪問
10:30、ベルリンの芸術村ことPrenzlauer Berg区にあるMOGA MOBOのスタジオを訪問、Titusのいつもの陽気な顔が出迎えてくれました。

このスタジオを使っているMOGA MOBOの現メンバーは、Titus Ackermann(1970年生まれ、写真)さん、Thomas Gronle(1970年生まれ)さん、Jonas Greulich(1970年生まれ)さんの3人。今日は、Jonasさんが急な仕事のため、TitusとThomasさんへのインタビューということになりました。

MOGA MOBOを立ち上げたのは1994年、当初はドイツ南部にあるシュトゥットガルトにその拠点を置いていました。オリジナルメンバーは、Titusと Jonasさんに2人を加えた4人。MOGA MOBO=モガ・モボというのは、お察しのとおりモダンガール・モダンボーイの略。日本でこの略語が使われたのは、現代の都市的なポップカルチャーのルーツともいえる1920年代。日本のポップカルチャーに造詣の深いTitusらしいひねりのきいたネーミングです。
MOGA MOBOの目的はひとつ。ドイツ・コミックの「プラットホーム」を作るということ。当時、特に、現在「グラフィック・ノベル」とか「オルタナティブ・コミックス」とか言われているドイツ・コミックを掲載する雑誌が存在していなかったそうです。1990年代までは、翻訳ものが多く、ドイツオリジナルのコミックを描きたいと考える作家の活躍の場もほとんどなかったわけです。ちなみに、日本でこれほどまでマンガ文化が隆盛なのは、雑誌を中心にした文化だからとも言われています。雑誌は、第1に作家を育てます。連載が10本あったとしたら、そのうち数本の人気が保障されれば、極端な話、残りの作品は実験的なものでもいいわけです。そこに、様々なタイプの作家性が入り込む余地があります。第2に、読者も育てます。ある作品を目的にそのマンガ雑誌を買ったとしても、他の作品にも出会う出会いを用意し、その見識を広げる可能性を持っているからです。これが単行本だとそういうことは起こりません。しかしながら、そのマンガ雑誌が、現在、日本ではドンドンその売り上げを落としています。数年前、マンガ単行本とマンガ雑誌の売り上げがついに逆転しました。今はマンガ文化のひとつの試練の時期なのかもしれません。
閑話休題。
日本のマンガ文化を育てたのと同じようなコミックの「プラットホーム」を作りたいというのが、Titusたちの思いでした。その思いは、『MOBO MOGA』というフリーペーパーの形になります。この冊子は、最初から大部数刷るということを目標としていました。例えば、きのう紹介したMONOGATARIの同人誌は80部でスタートしましたが、そうした形での出版は最初から考えていませんでした。というのも、彼らのプロジェクトは、仲間うちで批評をし合うことではなく、多くのコミック・ファンに作品を読んでもらうことこそが目的だったからです。
第1号は10000部でした。MOGA MOBOを有限会社のような形にし、スポンサーも付け、できた冊子を映画館や飲み屋に配りまくりました。フリーペーパー型のコミック雑誌は非常に珍しいのですが、この形は現在においても続いています。
最新号が104号となった現在、初刷りは2万部。そのうち、1/3がベルリンで、1/3がシュトゥットガルトの映画館などで配布され、残りは、スイス、オーストリアなどを含めたドイツ語圏の専門コミック店200店に置かれています。配布箇所を専門コミック店のみにしぼっていないのは「オタク」のための雑誌にしたくなかったからだ、とTitusは言います。始めた当初は隔月で発行していましたが、いまは1年間に2~3冊の発行。自分たち自身の作家活動の時間を確保するための選択だそうです。
最初の数号は、作家を選んで、彼ら自身にテーマを設定してもらっていましたが、現在は、毎号1つのテーマを設定した上で作家をチョイスしています。また、当初はA4サイズと固定された冊子サイズでしたが、ある時期から、メディアの形態はどんどんと自由になっていきます。最初のテーマ号となった47号(1998)は「夏の穴」号。なんと、本当に冊子に穴を開けてしまった!

『原稿を依頼された作家は、この穴に合わせて作品を描きました。その次の48号は、新聞の形をしています。前号と全く異なる形態にすることで、この雑誌が自由であることを印象付けたかったそうです。その他、例えば、1ヶ月間毎日ミニ本を発行する『MOGA MOBO MELTDOWN』(写真左)。31日間連続して発行された。、ペーパークラフトばかり集めた号、10号続けて読むとひとつのテーマが浮かび上がる号(写真右)など、メディア自体がとても実験的なものばかり。このようにメディア自体を自由にした途端、内容も自由になっていったと言います。


フリーペーパーはスポンサーが命綱。営業は、今でも彼ら自身がやっているそうです。これまで、DCコミックや『MAD』誌、CARLSENやPANINI、『ANIMANIA』など大手のコミック関連のところからも広告費を出してもらっていました。広告は、大手は別として、小さなところだったら、彼ら自身が、テーマやメディアに合わせて作ってしまいます。
100号のとき数えたら、累計のページ数が、全部で2290ページあったそうです。これまで300人くらいの作家が、この雑誌で作品を発表しているのではないか、ということです。もちろん、Titusたち自身が好きな作家も選びますし、常連作家というのもいますが、日本のマンガスタイル――Titusによると「ゲルマン」と「マンガ」を足して「ゲルマンガ」スタイルと言うのだそう――も含め、様々なスタイルの作家にチャンスを与えているということでした。キャリアも様々、中には投稿してきた新人からチョイスすることもあります。
15年「プラットホーム」を守り続けた結果として、300人の作家とのネットワークができたということが、TitusとMOGA MOBOを、ドイツ・コミック界における重要な位置にしていることは想像に難くありません。Titusによると、ドイツには、400~500人くらいのコミック作家がいると言いますが、そうだとすれば、300人というのは、驚くべき数字です。そのつながりの重要さは、実際、今回のTitusにコーディネーターをしてもらって、強く実感しています。
『MOGA MOBO』の発行以外にも、MOGA MOBOは、ワークショップや展覧会の開催など、様々な活動をしています。ドイツ鉄道(DB)がスポンサーになったコンピレーション・マンガ・フリーペーパー『rücken wind』(2004)の発行もそのひとつ。12万部を刷ったと言いますが、ドイツ・コミックを多くの人に読んでもらいたいというMOGA MOBOの思いを実現化した出版プロジェクトでしょう。この冊子も面白い試みをしていて、左からめくるとドイツ・コミック・スタイルのマンガが『rücken wind』表紙(写真左)、右から開くと「ゲルマンガ・スタイル」が…写真『rücken wind』表紙(写真右)。


どのような読者が実際『MOGA MOBO』を手に取っているのか、統計をとっていないのでわからないが、号によって反応が違うようです。例えば、「幸せへの道」という特集をしたときは、学校の先生から、授業で使いたいという申し出もあったそうです。
ドイツ・コミックの「プラット・ホーム」を作りたいというTitusたちの思いは、作者との膨大なネットワークの構築という意味でも、幅広い読者の獲得という意味でも成功しているようにみえます。MOGA MOBOは、今後もドイツ・コミックのひとつの要として重要な役割を果たしていくことでしょう。
BERLIN COMIX訪問
16:45~、出版事業も行うマンガ集団「Berlin Comix」のスタジオを訪問。コミック・アーティストのReinhard Kleist(1970年生まれ)さんとNaomi Fearnさんに自身の活動についてインタビューしてきました。

Reinhardさんは、1996年までグラフィックを学んでいたマインスター大学時代の1994年、実験的な作風のコミック『LOVE CRAFT』でデビュー。

在学中に作品が出版されるのはとても珍しいということでした。1996年、ベルリンに移り、コミックの仕事を始める。『amerika』(JOCHEN Enterprises、1998)、『Fucked』(REPRODUCT、2001)は、一見バンド・デシネ風だが、本人は、むしろアメリカの作品から影響を受けたと言います。2003年からは、ベルリンを舞台に、ヴァンパイアたちが跋扈する世界を描く「Berlinoir」シリーズを始めます。ケルンの出版社、Edision 52から、現在3冊まで出ています。『america』と「Berlinor」シリーズは、その作風がかなり異なります。前者は、作者の日記であり、後者はもっとエンターテイメントの側面が強い。そのことはReinhardさん自身も意識していて、想定する読者も、表現方法も変えるよう努力したそうです。『america』は出版するという予定もなく描いていたというのは、この作品の性格をよくあらわしています。これは、Reinhardさんに限らず、今回ぼくが会ってきたコミック作家に感じる「芸術」としてのマンガという認識に通ずるものだと思います。
『CASH』(CARLSEN、2006)は、ミュージシャンであるJonny Cashのバイオグラフィー。これ作品は権威のある賞をもらっているのですが、そもそも、音楽、特にポピュラーミュージックは、彼らコミック・アーティストにとっては、非常に重要な要素のようです。ぼくらが訪問したスタジオは、絵を描くスタジオなのか、録音するスタジオなのかわからないくらい、音楽は、絵を描くことということと融合した要素のようです。

この作品の成功のおかげで、出版元のCARLSENから、次回作を自由に描いてくれ、という依頼を受ける。そうして生まれたのが『HAVANA』(2008)。キューバを旅した経験を描いた、正に「comic reportage」。この作品は、作者と出版社の想像を超える反響で、3ヶ月で初刷り3000冊を売り切ってしまいました。現在は、カストロの話を準備中ということです。


Naomi Fearnさんは、シュトゥットゥガルト出身の女流コミック作家。
高校のときは「銃夢」(木城ゆきと)のような日本マンガにあこがれて、実際このスタイルでも作品を描いていた。彼女の知人という人が、MOGA MOBOに関わっていたため、Naomiさんもコミックに対する視野を広げたようです。結局、彼女のデビューは『MOGA MOBO』。日本のマンガスタイルとは全く異なる1コママンガだったそうです。大学在学中、実体験を基にした『ZUCKER FISCH』(ehapa、2000)を出版。このシリーズは、現在でも新聞で毎週連載されていて、順次単行本にもなっています。ところで、インディペンデント系の作家さんたちが口をそろえて言うのは、マンガだけで食っていくのは難しい、だからイラストを描いたりしているが、新聞での仕事は生活を安定させるという意味ではとてもいい!ということです。(彼女の場合、1回1ページで200ユーロがその原稿料です)彼らの印税は8~9%であることがほとんどですが、何せ発行部数が少ない上に、人気作家でも1年に1冊というペースなので、平均すると収入は決して多くはないのです。
*閑話休題。「ZUCKER FISCH」はそれでも1冊3000部程度は売れる人気作品ではあります。読者は、女性ばかりということもなくて、むしろ家族で読んでいます、という人が目立つようです。『Kaitie Cat Comic』(Ehapa Comic Collection、2008)は、同名の活字本をマンガ化したもの。出版社に委託された子ども向けの作品で、6000冊刷ったということです。この仕事の成功で、上記作品の原作者の新作ジュブナイル小説シリーズに挿絵を付けるということをしているそうです。
この2日間、無理やりジャンル分けするとしたら「グラフィック・ノベル」「インディペンデント・コミック」などと呼ばれるマンガの作者たちに集中してインタビューしてきました。彼らは、日本におけるメジャーシーンとはもちろん、ドイツのメジャーシーンとも、その内容や制作スタイル、出版形態などが明らかに異なります。
きのう、彼らの作品の内容に関しては、(1)私小説的な意味での「私性」を尊重する、(2)実験的な表現を追及しているという意味で、日本で言えば「ガロ系」の作風に近いということを書きました。一方、その出版形態は、日本の「同人誌」に近いと言えるかもしれません。つまり、メジャーシーンとは独立した=インディペンデントな形で、文字通り志を同じくする「同人」が集って、自分たちの好きなように作品を描き、なおかつそれを出版する…
今回訪問したコミック集団の本拠地は、ほとんどが、スタジオ兼出版社でした。「(会)社」などになっていないところもありましたが、どこも本格的な出版事業をしていたのは確かです。ただ、こうしたやり方は、ややもすれば、蛸壺化した上、尻つぼみになってしまいかねません。その意味でも、今回訪問したMOGA MOBOや、日本で言えばコミック・マーケットのような、「プラット・ホーム」こそがますます重要になってくることは言うまでもありません。
天気は、こちらに着いて以来、曇ったり雨が降ったり、時に晴れたりと、いまいち不安定(ドイツ人は、ちょっとやそっとの雨では傘をささない、ということを発見)。寒いことは寒いが、京都にとそんなに変わらない。空気が乾燥しているために、のどの調子が終始よくありません。ただ、花粉の大きさが日本と違うのか、鼻の通りは、日本にいたときよりもずっといい感じ。
今日は、ベルリンでのコーディネータをお願いしているTitusの率いるコミック・プロジェクト集団「MOGA MOBO」、コミック・アーティスト集団兼出版社「Berlin Comix」を訪問しました。
MOGA MOBO訪問
10:30、ベルリンの芸術村ことPrenzlauer Berg区にあるMOGA MOBOのスタジオを訪問、Titusのいつもの陽気な顔が出迎えてくれました。
MOBOMOGAのスタジオ。日本のおもちゃも見える。
このスタジオを使っているMOGA MOBOの現メンバーは、Titus Ackermann(1970年生まれ、写真)さん、Thomas Gronle(1970年生まれ)さん、Jonas Greulich(1970年生まれ)さんの3人。今日は、Jonasさんが急な仕事のため、TitusとThomasさんへのインタビューということになりました。
Titus Ackermannさん
MOGA MOBOを立ち上げたのは1994年、当初はドイツ南部にあるシュトゥットガルトにその拠点を置いていました。オリジナルメンバーは、Titusと Jonasさんに2人を加えた4人。MOGA MOBO=モガ・モボというのは、お察しのとおりモダンガール・モダンボーイの略。日本でこの略語が使われたのは、現代の都市的なポップカルチャーのルーツともいえる1920年代。日本のポップカルチャーに造詣の深いTitusらしいひねりのきいたネーミングです。
MOGA MOBOの目的はひとつ。ドイツ・コミックの「プラットホーム」を作るということ。当時、特に、現在「グラフィック・ノベル」とか「オルタナティブ・コミックス」とか言われているドイツ・コミックを掲載する雑誌が存在していなかったそうです。1990年代までは、翻訳ものが多く、ドイツオリジナルのコミックを描きたいと考える作家の活躍の場もほとんどなかったわけです。ちなみに、日本でこれほどまでマンガ文化が隆盛なのは、雑誌を中心にした文化だからとも言われています。雑誌は、第1に作家を育てます。連載が10本あったとしたら、そのうち数本の人気が保障されれば、極端な話、残りの作品は実験的なものでもいいわけです。そこに、様々なタイプの作家性が入り込む余地があります。第2に、読者も育てます。ある作品を目的にそのマンガ雑誌を買ったとしても、他の作品にも出会う出会いを用意し、その見識を広げる可能性を持っているからです。これが単行本だとそういうことは起こりません。しかしながら、そのマンガ雑誌が、現在、日本ではドンドンその売り上げを落としています。数年前、マンガ単行本とマンガ雑誌の売り上げがついに逆転しました。今はマンガ文化のひとつの試練の時期なのかもしれません。
閑話休題。
日本のマンガ文化を育てたのと同じようなコミックの「プラットホーム」を作りたいというのが、Titusたちの思いでした。その思いは、『MOBO MOGA』というフリーペーパーの形になります。この冊子は、最初から大部数刷るということを目標としていました。例えば、きのう紹介したMONOGATARIの同人誌は80部でスタートしましたが、そうした形での出版は最初から考えていませんでした。というのも、彼らのプロジェクトは、仲間うちで批評をし合うことではなく、多くのコミック・ファンに作品を読んでもらうことこそが目的だったからです。
第1号は10000部でした。MOGA MOBOを有限会社のような形にし、スポンサーも付け、できた冊子を映画館や飲み屋に配りまくりました。フリーペーパー型のコミック雑誌は非常に珍しいのですが、この形は現在においても続いています。
最新号が104号となった現在、初刷りは2万部。そのうち、1/3がベルリンで、1/3がシュトゥットガルトの映画館などで配布され、残りは、スイス、オーストリアなどを含めたドイツ語圏の専門コミック店200店に置かれています。配布箇所を専門コミック店のみにしぼっていないのは「オタク」のための雑誌にしたくなかったからだ、とTitusは言います。始めた当初は隔月で発行していましたが、いまは1年間に2~3冊の発行。自分たち自身の作家活動の時間を確保するための選択だそうです。
最初の数号は、作家を選んで、彼ら自身にテーマを設定してもらっていましたが、現在は、毎号1つのテーマを設定した上で作家をチョイスしています。また、当初はA4サイズと固定された冊子サイズでしたが、ある時期から、メディアの形態はどんどんと自由になっていきます。最初のテーマ号となった47号(1998)は「夏の穴」号。なんと、本当に冊子に穴を開けてしまった!
『MOGA MOBO』47号。右の穴の人物がTitus、左がThomasさん。
『原稿を依頼された作家は、この穴に合わせて作品を描きました。その次の48号は、新聞の形をしています。前号と全く異なる形態にすることで、この雑誌が自由であることを印象付けたかったそうです。その他、例えば、1ヶ月間毎日ミニ本を発行する『MOGA MOBO MELTDOWN』(写真左)。31日間連続して発行された。、ペーパークラフトばかり集めた号、10号続けて読むとひとつのテーマが浮かび上がる号(写真右)など、メディア自体がとても実験的なものばかり。このようにメディア自体を自由にした途端、内容も自由になっていったと言います。
フリーペーパーはスポンサーが命綱。営業は、今でも彼ら自身がやっているそうです。これまで、DCコミックや『MAD』誌、CARLSENやPANINI、『ANIMANIA』など大手のコミック関連のところからも広告費を出してもらっていました。広告は、大手は別として、小さなところだったら、彼ら自身が、テーマやメディアに合わせて作ってしまいます。
100号のとき数えたら、累計のページ数が、全部で2290ページあったそうです。これまで300人くらいの作家が、この雑誌で作品を発表しているのではないか、ということです。もちろん、Titusたち自身が好きな作家も選びますし、常連作家というのもいますが、日本のマンガスタイル――Titusによると「ゲルマン」と「マンガ」を足して「ゲルマンガ」スタイルと言うのだそう――も含め、様々なスタイルの作家にチャンスを与えているということでした。キャリアも様々、中には投稿してきた新人からチョイスすることもあります。
15年「プラットホーム」を守り続けた結果として、300人の作家とのネットワークができたということが、TitusとMOGA MOBOを、ドイツ・コミック界における重要な位置にしていることは想像に難くありません。Titusによると、ドイツには、400~500人くらいのコミック作家がいると言いますが、そうだとすれば、300人というのは、驚くべき数字です。そのつながりの重要さは、実際、今回のTitusにコーディネーターをしてもらって、強く実感しています。
『MOGA MOBO』の発行以外にも、MOGA MOBOは、ワークショップや展覧会の開催など、様々な活動をしています。ドイツ鉄道(DB)がスポンサーになったコンピレーション・マンガ・フリーペーパー『rücken wind』(2004)の発行もそのひとつ。12万部を刷ったと言いますが、ドイツ・コミックを多くの人に読んでもらいたいというMOGA MOBOの思いを実現化した出版プロジェクトでしょう。この冊子も面白い試みをしていて、左からめくるとドイツ・コミック・スタイルのマンガが『rücken wind』表紙(写真左)、右から開くと「ゲルマンガ・スタイル」が…写真『rücken wind』表紙(写真右)。
どのような読者が実際『MOGA MOBO』を手に取っているのか、統計をとっていないのでわからないが、号によって反応が違うようです。例えば、「幸せへの道」という特集をしたときは、学校の先生から、授業で使いたいという申し出もあったそうです。
ドイツ・コミックの「プラット・ホーム」を作りたいというTitusたちの思いは、作者との膨大なネットワークの構築という意味でも、幅広い読者の獲得という意味でも成功しているようにみえます。MOGA MOBOは、今後もドイツ・コミックのひとつの要として重要な役割を果たしていくことでしょう。
BERLIN COMIX訪問
16:45~、出版事業も行うマンガ集団「Berlin Comix」のスタジオを訪問。コミック・アーティストのReinhard Kleist(1970年生まれ)さんとNaomi Fearnさんに自身の活動についてインタビューしてきました。
Reinhardさんは、1996年までグラフィックを学んでいたマインスター大学時代の1994年、実験的な作風のコミック『LOVE CRAFT』でデビュー。
Reinhardさん。
在学中に作品が出版されるのはとても珍しいということでした。1996年、ベルリンに移り、コミックの仕事を始める。『amerika』(JOCHEN Enterprises、1998)、『Fucked』(REPRODUCT、2001)は、一見バンド・デシネ風だが、本人は、むしろアメリカの作品から影響を受けたと言います。2003年からは、ベルリンを舞台に、ヴァンパイアたちが跋扈する世界を描く「Berlinoir」シリーズを始めます。ケルンの出版社、Edision 52から、現在3冊まで出ています。『america』と「Berlinor」シリーズは、その作風がかなり異なります。前者は、作者の日記であり、後者はもっとエンターテイメントの側面が強い。そのことはReinhardさん自身も意識していて、想定する読者も、表現方法も変えるよう努力したそうです。『america』は出版するという予定もなく描いていたというのは、この作品の性格をよくあらわしています。これは、Reinhardさんに限らず、今回ぼくが会ってきたコミック作家に感じる「芸術」としてのマンガという認識に通ずるものだと思います。
『CASH』(CARLSEN、2006)は、ミュージシャンであるJonny Cashのバイオグラフィー。これ作品は権威のある賞をもらっているのですが、そもそも、音楽、特にポピュラーミュージックは、彼らコミック・アーティストにとっては、非常に重要な要素のようです。ぼくらが訪問したスタジオは、絵を描くスタジオなのか、録音するスタジオなのかわからないくらい、音楽は、絵を描くことということと融合した要素のようです。
「Berlin Comix」のスタジオにあるアナログレコードやCD。
この作品の成功のおかげで、出版元のCARLSENから、次回作を自由に描いてくれ、という依頼を受ける。そうして生まれたのが『HAVANA』(2008)。キューバを旅した経験を描いた、正に「comic reportage」。この作品は、作者と出版社の想像を超える反響で、3ヶ月で初刷り3000冊を売り切ってしまいました。現在は、カストロの話を準備中ということです。
「Berlin Comix」のスタジオに貼られていたフィデル・カストロの写真。
Naomiさん。
Naomi Fearnさんは、シュトゥットゥガルト出身の女流コミック作家。
高校のときは「銃夢」(木城ゆきと)のような日本マンガにあこがれて、実際このスタイルでも作品を描いていた。彼女の知人という人が、MOGA MOBOに関わっていたため、Naomiさんもコミックに対する視野を広げたようです。結局、彼女のデビューは『MOGA MOBO』。日本のマンガスタイルとは全く異なる1コママンガだったそうです。大学在学中、実体験を基にした『ZUCKER FISCH』(ehapa、2000)を出版。このシリーズは、現在でも新聞で毎週連載されていて、順次単行本にもなっています。ところで、インディペンデント系の作家さんたちが口をそろえて言うのは、マンガだけで食っていくのは難しい、だからイラストを描いたりしているが、新聞での仕事は生活を安定させるという意味ではとてもいい!ということです。(彼女の場合、1回1ページで200ユーロがその原稿料です)彼らの印税は8~9%であることがほとんどですが、何せ発行部数が少ない上に、人気作家でも1年に1冊というペースなので、平均すると収入は決して多くはないのです。
*閑話休題。「ZUCKER FISCH」はそれでも1冊3000部程度は売れる人気作品ではあります。読者は、女性ばかりということもなくて、むしろ家族で読んでいます、という人が目立つようです。『Kaitie Cat Comic』(Ehapa Comic Collection、2008)は、同名の活字本をマンガ化したもの。出版社に委託された子ども向けの作品で、6000冊刷ったということです。この仕事の成功で、上記作品の原作者の新作ジュブナイル小説シリーズに挿絵を付けるということをしているそうです。
この2日間、無理やりジャンル分けするとしたら「グラフィック・ノベル」「インディペンデント・コミック」などと呼ばれるマンガの作者たちに集中してインタビューしてきました。彼らは、日本におけるメジャーシーンとはもちろん、ドイツのメジャーシーンとも、その内容や制作スタイル、出版形態などが明らかに異なります。
きのう、彼らの作品の内容に関しては、(1)私小説的な意味での「私性」を尊重する、(2)実験的な表現を追及しているという意味で、日本で言えば「ガロ系」の作風に近いということを書きました。一方、その出版形態は、日本の「同人誌」に近いと言えるかもしれません。つまり、メジャーシーンとは独立した=インディペンデントな形で、文字通り志を同じくする「同人」が集って、自分たちの好きなように作品を描き、なおかつそれを出版する…
今回訪問したコミック集団の本拠地は、ほとんどが、スタジオ兼出版社でした。「(会)社」などになっていないところもありましたが、どこも本格的な出版事業をしていたのは確かです。ただ、こうしたやり方は、ややもすれば、蛸壺化した上、尻つぼみになってしまいかねません。その意味でも、今回訪問したMOGA MOBOや、日本で言えばコミック・マーケットのような、「プラット・ホーム」こそがますます重要になってくることは言うまでもありません。
Tuesday, 10. March 2009
ドイツマンガ調査旅行 2日目
ドイツ滞在2日目。快適なホテルで気持ちのよい朝を迎える。
今日は、ベルリンのマンガ出版社兼スタジオである「MONOGATARI」と「electrocomics」を訪問し、夕食会でもたくさんの作家さんたちと会ってきました。
報告を始める前に、今回の旅のキーマンを紹介しておきたいと思います。ベルリンにおけるコーディネータを勤めてくれたコミック・アーティストのTitus Ackermannさんです。
実は、Titusとは、京都で一緒に仕事をやったことのある仲。去年の6月、マンガミュージアムでは、シンガポールの文化援助団体ASEFと共催で、「Lingua Comica 3」というプロジェクトを行いました。これは、世界各国から応募した若手マンガ家14人が、2人1組になってマンガの合作をするというもの。Titusには、このプロジェクトの進行役のひとりを務めてもらったのでした。
MONOGATARI訪問
さて。
ベルリンの足、Sバーン(電車)とトラムを乗り継いで、まずは、マンガ出版社兼スタジオである「MONOGATARI」を訪問。高さのそろった美しいヨーロッパ的石作りのビルが並ぶストリートの一角にそのスタジオはありました。このMONOGATARIと、後で紹介するelectrocomicsも含め、今回ベルリンで会うことになっている多くのコミック作家たちのスタジオは、Prenzlauer Berg(プレンツラオアー・ベルク)という地区に集中しています。この元・東ベルリンの閑静な地区は、現在、一種の芸術村になりつつあるのだそうです。
ところで、ドイツのマンガ、コミックは、その内容/出版形態によって乱暴に分けてしまえば、3つのタイプがあると言えます。
(1)大手出版社から割と大きな部数発行されている、伝統的な表現スタイルを持ったコミック。ユーモアものであったり冒険ものであったりと、エンターテイメントなものが多く、大人向けも子ども向けもあります。
(2)ドイツでもドンドンと浸透しつつある日本マンガの翻訳版。
(3)日本のマンガファンにとってわかりやすいことばで言えば、「ガロ系」とか「オルタナ系」とか言われるタイプの作品。つまり、多くの読者を得るための商業的なエンターテイメントというより、実験的でアーティスティックな表現であることを大事にしていて、小部数をインディペンデント系出版社から出しているもの。MONOGATARIもelectrocomicsも、(3)の形式の作品を生み出しているスタジオであり、それらを出版している出版社です。
さて、そのMONOGATARIのスタジオで我々を迎えてくれたのは、コミック・アーティストのJens Harder(1970年生まれ)さんとTim Dinter(1971年生まれ)さん。

MONOGATARIは、1999年、2人が大学生の時、他の4人の仲間と一緒に作ったグループです。2001年に出された最初の作品集『Alltagsspionage』では、6人それぞれが、それぞれの表現方法をもって、ベルリンのルポルタージュ=「comic reportage」を行っています。同様に、『OPERATION LACKERLI』(MONOGATARI、2004)では、バーゼルのcomic reportageが行われました。その表現形式や紀行小説的な内容は、日本のマンガ家・つげ義春の一連の作品郡を思い出させますが、それらよりも、より政治的な批評が加味されているようです。ドイツ文化センターの援助により、2人がイスラエルの作家たちと一緒に制作した『CARGO』(avant-verlag、2005)は、そうした傾向がより強く感じられます。『Alltagsspionage』、『OPERATION…』、『CARGO』は、それぞれ、2000部、1000部、1500部が発行されました。
2004年以降、MONOGATARIのメンバーは、集団というよりも、それぞれの活動に力を入れていくことになります。
Jensさんは、主に、鉛筆で緻密に描いた線に別の色を乗せるという2色刷り印刷の風合いの画風を持った作家。聖書をテーマにした『LEVIATHAN』(Edition de l’An 2、2003)は、フランス・アングレームの国際的なコミック・フェスティバルで賞を獲った作品です。最新作『ALPHA』(Edition de l’An 2、2009)は、人類の歴史を描く壮大な叙事詩。厚さ4㎝の巨大な本はしかし、3巻のうちの1巻に過ぎません。『LEVIATHAN』と『ALPHA』を出版したEdition de l’An 2はフランスの出版社ですが、これらの本のドイツでの出版はまだ決まっていません。フランスは、こうしたアーティスティックなコミックを受け入れる読者層が歴史的に形成されていますが、ドイツではまだまだそうした素地ができあがっているとは言えないようです。
先にまとめた、ドイツ・マンガのタイプ(1)の代表的なマンガ雑誌は旧・東ドイツ時代の1957年から発行されている『mosaik』でしょう。現在でも書店やキオスクなどで簡単に手に入るこの雑誌は、主に子ども向けのユーモア・マンガを掲載しています。Titusによると、この雑誌のこれまでの累計発行部数は2億冊。しかしながら、ほとんどの読者は、大人になると読まなくなってしまうそうです。JensさんとTimさんが言っていたのは、このように、一度コミックを卒業した大人が戻ってくる際の受け皿として、自分たちが描いているような作品があればいい、ということでした。
※MONOGATIRIスタジオを後にして、近所で昼食。とてもおいしいキッシュを食べました。誰だ?ドイツ料理はマズいなんて言ったのは!
ELECTROCOMICS訪問
14:00から、MONOGATARIスタジオから歩いてほどないところにあるelectrocomicsのスタジオへ。出迎えてくれたのは、Ulli Lust(1967年生まれ)さんとKai Pfeiffer(1975年生まれ)。2人とも、もともとMONOGATARIのメンバーとして活躍していたコミック・アーティストです。

絵本作家でもある女性コミック作家のUlliさんが紹介してくれた自作は『Fashionvictims』(avant-verlag、2008)。かつてMONOGATARIの仲間たちと描いた『Alltagsspionage』同様、ベルリンの日常生活を、「ドキュメンタリー」あるいは「人類学者による民族誌」のように、「外から観察」し、記録した「comic reportage」です。いわばベルリンを主人公にしたこの作品は、主にはこの街で売れているということです(発行部数は1500部)。
一方、Kaiさんは、シュールレアリストの絵画を髣髴とさせるイマジネーションあふれる心象風景を描いた作品で、ぼくの心をつかみました。もっとも、自分の住むベルリンを描くことと、自らの心象風景を描くことは、実はかけ離れたことではありません。

Kaiさん自身、インターネットで購入したという『月刊漫画ガロ』で活躍した何人かの作家――例えば、つげ義春――がそうであるように、自らを中心にした日常生活を描くことは、自分自身のインナー世界を描くことと直結しうるからです。(つげ義春の「ねじ式」をみよ!)
しかしながら、日本の作家と、彼らのようなインディペンデントな作家との違いは、自分自身をプロデュースしなければ、日本のように、作品を発表する場がほとんどないということです。創作集団でありかつ出版社でもあるMONOGATARIが生まれたのは、おそらくそうした背景があるからでしょう。MONOGATARIから独立したUlliさんが、2005年に、自分を含めた、実験的な表現を試みているインディペンデントな作家を紹介するためにelectrocomicsというプロジェクトを立ち上げたのも、いわば必然です。特に、アクセスしやすく、お金もあまりかけずにできるということもあって、現在、ウェブサイトにおいて作品をダウンロードしてもらう、というやり方が採られています。先日までオーストリアのリンツで行われていた、メディア・アート・フェスティバル「Nextcomic」にも、コミック分野の代表として、このウェブサイトが紹介されました。
ところで、ドイツ語に翻訳された「ホムンクルス」といった日本のマンガ作品も大好きだというUlliさんに、日本マンガについてどう思うか聞いてみました。Ulliさん曰く、ドイツ・コミックの方が、日本マンガに比べると1コマの中の情報密度が圧倒的に高く、日本マンガの場合は、コマの流れ、つながり、そこから生まれるスピード感を大切にしている、と言っていました。さすが実作者、実に的確な指摘です。また、マンガの中の女性は、自分の知っている実際の日本人女性にくらべると、非常に受動的で、そこが不思議だ、とも。このことも日本における女性表現というジェンダー文化に関わる重要な指摘です。
WAGENBRETH教授訪問
17:30~、ベルリン芸術大学の教授で、イラストレーター、グラフィック・デザイナーであるHenning Wagenbrethさんのご自宅に伺い、話を聞きました。本の装丁や切手のデザイン(今日届いたばかりのテスト版の初刷りを見せてもらいました)を手がけるアーティストであると同時に、コミックを教える大学教授でもあるHenningさんは、学生たちに、「自己表現」が大切だと教えているそうです。描画方法などの「スタイル」を教えるのではなく、描きたいことが何なのかを徹底的に議論することを重視する授業。スタイルというのは、表現したいことがあって作られるもの、というわけです。だから、授業でも、学生たちのスタイルが固まってしまわないように、毎回様々なスタイルのマンガ作品を紹介するよう心がけているそう。もっとも、Henningさんも含め、見せてもらった彼の学生たちの作品や、MONOGATARIの作家のそれのような「インディペンデント・コミック」「グラフィック・ノベル」「オルタナティブ・コミック」と言われたりする作品が、ほとんど一様に、人間を美しく描かない、というのは興味深い現象です。Henningさんご自身、好きな日本マンガの絵柄として「はだしのゲン」(中沢啓治)を挙げましたが、これは、“濃すぎる”ゆえに、拒否反応を起こす人も少なくない絵柄として有名です。
ところで、この「はだしのゲン」が、今度、ドイツ人のスタッフ・キャストによって、舞台化されるそうです。その舞台のポスターデザインをつとめたHenningさんご自身から、このポスターをお土産としていただき、ご自宅をおいとましたのでした。
PRATER GARDENで夕食
カフェで一服した後、夕食のために「Prater Garden」というパブへ。このお店は、ドイツの郷土料理を出してくれる有名なお店のようです。
20:00ころ、お店に着くと、すでに先客が。出版社avant-verlagのJohann Ulrichさん。avant-verlagは、これまで登場したようなインディペンデントな実験的コミックを描いている作家さんたちの著者の作品を中心に出版している出版社です。大体の作品が1000~2000部という少数部出版です。1年間に8~12冊ほど出しているそう。同社の出版事業は大きく2つの目的を持っています。
(1)優秀だが、大手出版社では出版してもらえないような若い才能を発掘する
(2)とは言うものの、最低限の利益は必要。この場合、外国作品の権利を買って、翻訳出版している
(2)の外国作品の多くは、フランスのバンド・デシネで、最近では『ラビの猫』が、10000部売れたと言います。売れたといっても、日本マンガの出版の比ではありませんね。ちなみに、日本マンガの権利を買ったことはないそうです。日本マンガの権利ビジネスは、バンド・デシネの場合と勝手が違って、システムがわからないというのがその理由ですが、出版社の目的が(2)というよりむしろ(1)にあると言いますから、そもそも「消費される商品」という側面の大きい日本マンガとは相容れないのかもしれません。作品が出版されるまでの作家と出版社の関係も、日本のメジャーシーンの場合とは大きくことなります。日本の場合、作品が生まれる場の多くはマンガ雑誌で、そこには必ず編集者が付きます。そして、この編集者が、言わば“もうひとりの作者”と言ってもいいほどに、作品の、特にストーリーの部分に関わります。一方、Johannさんの出版社のようなところは通常、作家の個性を尊重して、作品作りにはほとんど関与しません。雑誌連載ではなく、ほぼすべて単行本出版であるということもあって、編集者すら付かないのです。これは、アート性の高いフランスのバンド・デシネの場合も同じです。Henningさんも言っていたように、最も尊重されるのは「自己表現」、というのが、グラフィック・ノベルや、インディペンデント・コミックと呼ばれるジャンルにおける不文律のようです。
※Johannさんと興味深い出版の話をしている間に、Titusがコーディネートしてくれた、ベルリンで活躍しているコミック作家たちが次々やってくる。
まずは、Titusと一緒に、「MOGA MOBO」プロジェクトを支えているLegronことThomas Gronleさん。MOGA MOBOについては、明日じっくり取材が出来るので、ここでは詳細を書きません。
Mawilさんも、あす訪れる予定のコミック集団にして出版社である「Berlin Comix」を支えるひとり。元・MONOGATARIのメンバーでもある彼は、自分を主人公にした作品を複数出している実力者。13日から視察予定のライプツィヒのブックフェアにも出向いてサイン会をするというから、そこで再会できるかもしれません。
そして、懐かしい顔も。先に紹介しました「Lingua Comica 3」の参加者のひとり、Nael!彼女は、先述のオーストリア・リンツでの「Nextcomics」で、なんと、新人賞を獲ったばかり。主催したイベント出身の作家さんが大きくなっていくのをみるのは、とても幸せなことです。
皆とても仲がよく、いつまでも続くマンガに関する議論の中にいると、自分も芸術家になったような気がします。
もちろん、注文した豚肉料理もおいしくて、非常にぜいたくな時間をすごしたのでした。
今日は、ベルリンのマンガ出版社兼スタジオである「MONOGATARI」と「electrocomics」を訪問し、夕食会でもたくさんの作家さんたちと会ってきました。
報告を始める前に、今回の旅のキーマンを紹介しておきたいと思います。ベルリンにおけるコーディネータを勤めてくれたコミック・アーティストのTitus Ackermannさんです。
実は、Titusとは、京都で一緒に仕事をやったことのある仲。去年の6月、マンガミュージアムでは、シンガポールの文化援助団体ASEFと共催で、「Lingua Comica 3」というプロジェクトを行いました。これは、世界各国から応募した若手マンガ家14人が、2人1組になってマンガの合作をするというもの。Titusには、このプロジェクトの進行役のひとりを務めてもらったのでした。
MONOGATARI訪問
さて。
ベルリンの足、Sバーン(電車)とトラムを乗り継いで、まずは、マンガ出版社兼スタジオである「MONOGATARI」を訪問。高さのそろった美しいヨーロッパ的石作りのビルが並ぶストリートの一角にそのスタジオはありました。このMONOGATARIと、後で紹介するelectrocomicsも含め、今回ベルリンで会うことになっている多くのコミック作家たちのスタジオは、Prenzlauer Berg(プレンツラオアー・ベルク)という地区に集中しています。この元・東ベルリンの閑静な地区は、現在、一種の芸術村になりつつあるのだそうです。
ところで、ドイツのマンガ、コミックは、その内容/出版形態によって乱暴に分けてしまえば、3つのタイプがあると言えます。
(1)大手出版社から割と大きな部数発行されている、伝統的な表現スタイルを持ったコミック。ユーモアものであったり冒険ものであったりと、エンターテイメントなものが多く、大人向けも子ども向けもあります。
(2)ドイツでもドンドンと浸透しつつある日本マンガの翻訳版。
(3)日本のマンガファンにとってわかりやすいことばで言えば、「ガロ系」とか「オルタナ系」とか言われるタイプの作品。つまり、多くの読者を得るための商業的なエンターテイメントというより、実験的でアーティスティックな表現であることを大事にしていて、小部数をインディペンデント系出版社から出しているもの。MONOGATARIもelectrocomicsも、(3)の形式の作品を生み出しているスタジオであり、それらを出版している出版社です。
さて、そのMONOGATARIのスタジオで我々を迎えてくれたのは、コミック・アーティストのJens Harder(1970年生まれ)さんとTim Dinter(1971年生まれ)さん。
右がJensさん、左がTimさん
MONOGATARIは、1999年、2人が大学生の時、他の4人の仲間と一緒に作ったグループです。2001年に出された最初の作品集『Alltagsspionage』では、6人それぞれが、それぞれの表現方法をもって、ベルリンのルポルタージュ=「comic reportage」を行っています。同様に、『OPERATION LACKERLI』(MONOGATARI、2004)では、バーゼルのcomic reportageが行われました。その表現形式や紀行小説的な内容は、日本のマンガ家・つげ義春の一連の作品郡を思い出させますが、それらよりも、より政治的な批評が加味されているようです。ドイツ文化センターの援助により、2人がイスラエルの作家たちと一緒に制作した『CARGO』(avant-verlag、2005)は、そうした傾向がより強く感じられます。『Alltagsspionage』、『OPERATION…』、『CARGO』は、それぞれ、2000部、1000部、1500部が発行されました。
2004年以降、MONOGATARIのメンバーは、集団というよりも、それぞれの活動に力を入れていくことになります。
Jensさんは、主に、鉛筆で緻密に描いた線に別の色を乗せるという2色刷り印刷の風合いの画風を持った作家。聖書をテーマにした『LEVIATHAN』(Edition de l’An 2、2003)は、フランス・アングレームの国際的なコミック・フェスティバルで賞を獲った作品です。最新作『ALPHA』(Edition de l’An 2、2009)は、人類の歴史を描く壮大な叙事詩。厚さ4㎝の巨大な本はしかし、3巻のうちの1巻に過ぎません。『LEVIATHAN』と『ALPHA』を出版したEdition de l’An 2はフランスの出版社ですが、これらの本のドイツでの出版はまだ決まっていません。フランスは、こうしたアーティスティックなコミックを受け入れる読者層が歴史的に形成されていますが、ドイツではまだまだそうした素地ができあがっているとは言えないようです。
先にまとめた、ドイツ・マンガのタイプ(1)の代表的なマンガ雑誌は旧・東ドイツ時代の1957年から発行されている『mosaik』でしょう。現在でも書店やキオスクなどで簡単に手に入るこの雑誌は、主に子ども向けのユーモア・マンガを掲載しています。Titusによると、この雑誌のこれまでの累計発行部数は2億冊。しかしながら、ほとんどの読者は、大人になると読まなくなってしまうそうです。JensさんとTimさんが言っていたのは、このように、一度コミックを卒業した大人が戻ってくる際の受け皿として、自分たちが描いているような作品があればいい、ということでした。
※MONOGATIRIスタジオを後にして、近所で昼食。とてもおいしいキッシュを食べました。誰だ?ドイツ料理はマズいなんて言ったのは!
ELECTROCOMICS訪問
14:00から、MONOGATARIスタジオから歩いてほどないところにあるelectrocomicsのスタジオへ。出迎えてくれたのは、Ulli Lust(1967年生まれ)さんとKai Pfeiffer(1975年生まれ)。2人とも、もともとMONOGATARIのメンバーとして活躍していたコミック・アーティストです。
右がKaiさん、左がUlliさん
絵本作家でもある女性コミック作家のUlliさんが紹介してくれた自作は『Fashionvictims』(avant-verlag、2008)。かつてMONOGATARIの仲間たちと描いた『Alltagsspionage』同様、ベルリンの日常生活を、「ドキュメンタリー」あるいは「人類学者による民族誌」のように、「外から観察」し、記録した「comic reportage」です。いわばベルリンを主人公にしたこの作品は、主にはこの街で売れているということです(発行部数は1500部)。
一方、Kaiさんは、シュールレアリストの絵画を髣髴とさせるイマジネーションあふれる心象風景を描いた作品で、ぼくの心をつかみました。もっとも、自分の住むベルリンを描くことと、自らの心象風景を描くことは、実はかけ離れたことではありません。
月刊漫画ガロ
Kaiさん自身、インターネットで購入したという『月刊漫画ガロ』で活躍した何人かの作家――例えば、つげ義春――がそうであるように、自らを中心にした日常生活を描くことは、自分自身のインナー世界を描くことと直結しうるからです。(つげ義春の「ねじ式」をみよ!)
しかしながら、日本の作家と、彼らのようなインディペンデントな作家との違いは、自分自身をプロデュースしなければ、日本のように、作品を発表する場がほとんどないということです。創作集団でありかつ出版社でもあるMONOGATARIが生まれたのは、おそらくそうした背景があるからでしょう。MONOGATARIから独立したUlliさんが、2005年に、自分を含めた、実験的な表現を試みているインディペンデントな作家を紹介するためにelectrocomicsというプロジェクトを立ち上げたのも、いわば必然です。特に、アクセスしやすく、お金もあまりかけずにできるということもあって、現在、ウェブサイトにおいて作品をダウンロードしてもらう、というやり方が採られています。先日までオーストリアのリンツで行われていた、メディア・アート・フェスティバル「Nextcomic」にも、コミック分野の代表として、このウェブサイトが紹介されました。
ところで、ドイツ語に翻訳された「ホムンクルス」といった日本のマンガ作品も大好きだというUlliさんに、日本マンガについてどう思うか聞いてみました。Ulliさん曰く、ドイツ・コミックの方が、日本マンガに比べると1コマの中の情報密度が圧倒的に高く、日本マンガの場合は、コマの流れ、つながり、そこから生まれるスピード感を大切にしている、と言っていました。さすが実作者、実に的確な指摘です。また、マンガの中の女性は、自分の知っている実際の日本人女性にくらべると、非常に受動的で、そこが不思議だ、とも。このことも日本における女性表現というジェンダー文化に関わる重要な指摘です。
WAGENBRETH教授訪問
17:30~、ベルリン芸術大学の教授で、イラストレーター、グラフィック・デザイナーであるHenning Wagenbrethさんのご自宅に伺い、話を聞きました。本の装丁や切手のデザイン(今日届いたばかりのテスト版の初刷りを見せてもらいました)を手がけるアーティストであると同時に、コミックを教える大学教授でもあるHenningさんは、学生たちに、「自己表現」が大切だと教えているそうです。描画方法などの「スタイル」を教えるのではなく、描きたいことが何なのかを徹底的に議論することを重視する授業。スタイルというのは、表現したいことがあって作られるもの、というわけです。だから、授業でも、学生たちのスタイルが固まってしまわないように、毎回様々なスタイルのマンガ作品を紹介するよう心がけているそう。もっとも、Henningさんも含め、見せてもらった彼の学生たちの作品や、MONOGATARIの作家のそれのような「インディペンデント・コミック」「グラフィック・ノベル」「オルタナティブ・コミック」と言われたりする作品が、ほとんど一様に、人間を美しく描かない、というのは興味深い現象です。Henningさんご自身、好きな日本マンガの絵柄として「はだしのゲン」(中沢啓治)を挙げましたが、これは、“濃すぎる”ゆえに、拒否反応を起こす人も少なくない絵柄として有名です。
ところで、この「はだしのゲン」が、今度、ドイツ人のスタッフ・キャストによって、舞台化されるそうです。その舞台のポスターデザインをつとめたHenningさんご自身から、このポスターをお土産としていただき、ご自宅をおいとましたのでした。
PRATER GARDENで夕食
カフェで一服した後、夕食のために「Prater Garden」というパブへ。このお店は、ドイツの郷土料理を出してくれる有名なお店のようです。
20:00ころ、お店に着くと、すでに先客が。出版社avant-verlagのJohann Ulrichさん。avant-verlagは、これまで登場したようなインディペンデントな実験的コミックを描いている作家さんたちの著者の作品を中心に出版している出版社です。大体の作品が1000~2000部という少数部出版です。1年間に8~12冊ほど出しているそう。同社の出版事業は大きく2つの目的を持っています。
(1)優秀だが、大手出版社では出版してもらえないような若い才能を発掘する
(2)とは言うものの、最低限の利益は必要。この場合、外国作品の権利を買って、翻訳出版している
(2)の外国作品の多くは、フランスのバンド・デシネで、最近では『ラビの猫』が、10000部売れたと言います。売れたといっても、日本マンガの出版の比ではありませんね。ちなみに、日本マンガの権利を買ったことはないそうです。日本マンガの権利ビジネスは、バンド・デシネの場合と勝手が違って、システムがわからないというのがその理由ですが、出版社の目的が(2)というよりむしろ(1)にあると言いますから、そもそも「消費される商品」という側面の大きい日本マンガとは相容れないのかもしれません。作品が出版されるまでの作家と出版社の関係も、日本のメジャーシーンの場合とは大きくことなります。日本の場合、作品が生まれる場の多くはマンガ雑誌で、そこには必ず編集者が付きます。そして、この編集者が、言わば“もうひとりの作者”と言ってもいいほどに、作品の、特にストーリーの部分に関わります。一方、Johannさんの出版社のようなところは通常、作家の個性を尊重して、作品作りにはほとんど関与しません。雑誌連載ではなく、ほぼすべて単行本出版であるということもあって、編集者すら付かないのです。これは、アート性の高いフランスのバンド・デシネの場合も同じです。Henningさんも言っていたように、最も尊重されるのは「自己表現」、というのが、グラフィック・ノベルや、インディペンデント・コミックと呼ばれるジャンルにおける不文律のようです。
※Johannさんと興味深い出版の話をしている間に、Titusがコーディネートしてくれた、ベルリンで活躍しているコミック作家たちが次々やってくる。
まずは、Titusと一緒に、「MOGA MOBO」プロジェクトを支えているLegronことThomas Gronleさん。MOGA MOBOについては、明日じっくり取材が出来るので、ここでは詳細を書きません。
Mawilさんも、あす訪れる予定のコミック集団にして出版社である「Berlin Comix」を支えるひとり。元・MONOGATARIのメンバーでもある彼は、自分を主人公にした作品を複数出している実力者。13日から視察予定のライプツィヒのブックフェアにも出向いてサイン会をするというから、そこで再会できるかもしれません。
そして、懐かしい顔も。先に紹介しました「Lingua Comica 3」の参加者のひとり、Nael!彼女は、先述のオーストリア・リンツでの「Nextcomics」で、なんと、新人賞を獲ったばかり。主催したイベント出身の作家さんが大きくなっていくのをみるのは、とても幸せなことです。
皆とても仲がよく、いつまでも続くマンガに関する議論の中にいると、自分も芸術家になったような気がします。
もちろん、注文した豚肉料理もおいしくて、非常にぜいたくな時間をすごしたのでした。
Monday, 9. March 2009
ドイツマンガ調査旅行
みなさん、はじめまして。
「京都国際マンガミュージアム」で研究員をしている伊藤遊(いとう・ゆう)と言います。このブログでは、ドイツのマンガ事情を現地レポートしていきたいと思っています。
まずは、ぼくの勤めているマンガミュージアムについてちょっと紹介します。
マンガミュージアムは、簡単に言ってしまえば、図書館(30万点のマンガ資料を収集・保管)と博物館(その資料などを使った研究成果を公開)を兼ねた研究施設。マンガ家を招いた講演会やワークショップなどのイベントも数多く行っています。2006年11月にオープンしたばかりの若いミュージアムですが、2 年間で50万人の方が来館しました。
この50万人のうち、実は、1~2割程度が、海外からのお客さん。そのうちの多くは、いま世界中で訳されている日本マンガに関心を持った方たちだと思われますが、マンガミュージアムでは、この世界各国語訳の日本マンガもコレクションしています。一方で、日本のマンガとは異なる形で発展していった各国・各地域のマンガも、収集対象となっています。
また、マンガミュージアムでは、世界各国・各地域のマンガ事情の調査を進めています。こうした調査は、現地に行ってフィールドワークするのが一番。実際、これまでも、フランスやアメリカ、タイなどの現地調査をしてきました。
さて。
日本時間で10:40関西空港発の飛行機に乗り込んで約15時間、いまぼくは、ドイツ・ベルリンのホテルでこの文章を書いています。
きょうは本格的な調査はできませんでしたが、あす以降、ベルリンおよびライプツィヒのマンガ家やマンガ出版社の方へのインタビュー、それから、ドイツ3大ブックフェアのひとつと言われるライプツィヒのフェアを報告する予定です。
※ PCの電源を切る前に、ひとつだけ小ネタを。
ベルリンには、フランクフルト空港を経由してやってきたのですが、この空港の中の書店を覗いてきました。空港のショップや、キオスクなどで売っているマンガは、その国のマンガ事情を象徴していることがあるからです。
では、フランクフルト空港のこの書店で、雑誌やソフトカバーの小説などと一緒に売られていたのは、と言うと、わずか3シリーズのマンガでした。「アステリスク」と「スピルーとファンタジオ」、それと「ドナルドドッグ」のドイツ語版。
前者2つはフランスで作られたバンド・デシネ。ドナルドは言うまでもなくアメリカのコミックです。いずれもそれぞれの国で長く続く伝統的な人気シリーズですが、ドイツオリジナルのマンガはみあたりませんでした。また、期待していた日本マンガのドイツ語翻訳本もなし。この構成が、はたしてあす以降のドイツマンガ事情の調査を予言するものなのか、否か?!乞うご期待!
「京都国際マンガミュージアム」で研究員をしている伊藤遊(いとう・ゆう)と言います。このブログでは、ドイツのマンガ事情を現地レポートしていきたいと思っています。
まずは、ぼくの勤めているマンガミュージアムについてちょっと紹介します。
マンガミュージアムは、簡単に言ってしまえば、図書館(30万点のマンガ資料を収集・保管)と博物館(その資料などを使った研究成果を公開)を兼ねた研究施設。マンガ家を招いた講演会やワークショップなどのイベントも数多く行っています。2006年11月にオープンしたばかりの若いミュージアムですが、2 年間で50万人の方が来館しました。
この50万人のうち、実は、1~2割程度が、海外からのお客さん。そのうちの多くは、いま世界中で訳されている日本マンガに関心を持った方たちだと思われますが、マンガミュージアムでは、この世界各国語訳の日本マンガもコレクションしています。一方で、日本のマンガとは異なる形で発展していった各国・各地域のマンガも、収集対象となっています。
また、マンガミュージアムでは、世界各国・各地域のマンガ事情の調査を進めています。こうした調査は、現地に行ってフィールドワークするのが一番。実際、これまでも、フランスやアメリカ、タイなどの現地調査をしてきました。
さて。
日本時間で10:40関西空港発の飛行機に乗り込んで約15時間、いまぼくは、ドイツ・ベルリンのホテルでこの文章を書いています。
きょうは本格的な調査はできませんでしたが、あす以降、ベルリンおよびライプツィヒのマンガ家やマンガ出版社の方へのインタビュー、それから、ドイツ3大ブックフェアのひとつと言われるライプツィヒのフェアを報告する予定です。
※ PCの電源を切る前に、ひとつだけ小ネタを。
ベルリンには、フランクフルト空港を経由してやってきたのですが、この空港の中の書店を覗いてきました。空港のショップや、キオスクなどで売っているマンガは、その国のマンガ事情を象徴していることがあるからです。
では、フランクフルト空港のこの書店で、雑誌やソフトカバーの小説などと一緒に売られていたのは、と言うと、わずか3シリーズのマンガでした。「アステリスク」と「スピルーとファンタジオ」、それと「ドナルドドッグ」のドイツ語版。
前者2つはフランスで作られたバンド・デシネ。ドナルドは言うまでもなくアメリカのコミックです。いずれもそれぞれの国で長く続く伝統的な人気シリーズですが、ドイツオリジナルのマンガはみあたりませんでした。また、期待していた日本マンガのドイツ語翻訳本もなし。この構成が、はたしてあす以降のドイツマンガ事情の調査を予言するものなのか、否か?!乞うご期待!
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